夏合宿②南アルプス中南部縦走(19/8/3~8)


 

☆天気

 

(一日目)雷を伴う夕立のち晴

 

(二日目)

 

(三日目)

 

(四日目)晴、雷を伴う夕立有

 

(五日目)晴、雷を伴う夕立有

 

(六日目)

 

 

 

 

 

☆チェックポイントと通過時刻

 

 

 

(B隊一日目)

 

国立0613 === 1152伊那大島駅1210 ==(バス)== 1400鳥倉登山口1415 --- 1515豊口山間のコル1520 --- 1620塩川ルート分岐1625 --- 1650三伏峠小屋()(行動時間2時間35)

 

(B隊二日目)

 

0400起床三伏峠小屋0505 --- 0540烏帽子岳0605 --- 0640前小河内岳---0725小河内岳避難小屋 --- 0730小河内岳0735 --- 0855瀬戸沢ノ頭0900 --- 0935板屋岳0940 --- 1030高山裏避難小屋()(行動時間5時間25分)

 

(B隊三日目)

 

0300起床高山裏避難小屋0400 --- 0500荒川カール取付0505 --- 0650前岳0700 --- 0705 3049m地点 --- 0715中岳 --- 0720荒川中岳避難小屋(デポ)0730 --- 0810東岳(悪沢岳)0835 --- 0910荒川中岳避難小屋(デポ回収)0920 --- 0925中岳0935 --- 1025荒川小屋() (行動時間6時間25分)

 

(B隊四日目)

 

0400起床荒川小屋0500 --- 0535大聖寺平0540 --- 0640小赤石岳 --- 0705赤石岳0730 --- 0845百間平0900 --- 0925百間洞山の家()(行動時間4時間25)

 

(B隊五日目)

 

0300起床百間洞山の家0405 --- 0455百間洞下降点 --- 0520中盛丸山 --- 0555小兎岳 --- 0640兎岳0650 --- 0710聖兎のコル --- 0835前聖岳 --- (奥聖岳往復) --- 前聖岳0955 --- 1030小聖岳1035 --- 1055薊畑 --- 1110聖平小屋方面分岐 --- 1115聖平小屋()(行動時間7時間10分)

 

(B隊六日目)

 

0300起床聖平小屋0405 --- 0435薊畑0440 --- 0515苔平0520 --- 0640西沢渡(手動ロープウェイ渡河)0700 ---0735聖光小屋・便ヶ島0750 --- 0815易老渡 --- 0915芝沢ゲート(タクシー乗り場)1100 ===(タクシー)=== 1200平岡駅(行動時間5時間10分)

 

 

 

 

 

☆行動と感想

 

 

 

(B隊一日目 B隊記録: 山下)

 

 国立を朝6時すぎに出発、青春18きっぷで鈍行を乗り継ぎ、伊那大島駅発のバスで鳥倉登山口にアクセスする計画。中央線の遅延のため八王子から甲府まで特急あずさでワープするという痛い出費があったが、バスには予定通り乗車でき、鳥倉登山口から入山。入山前に発雷確率70%以上の予報が出ていたが、ほど登った地点(豊口山間のコル)あたりから天気が崩れはじめて雷雨に。その後2時間ほどは雷鳴が轟いていたが、雨は次第に弱まり、時折遠くに見える山々、そして夕陽を眺めながら、快適な森の中で高度を稼ぎ、コースタイムより若干早く三伏峠小屋のテント場に到着した。後ろを歩いていたA隊のメンバーが両足つって歩き辛くなったらしく、8/10地点あたりまで空身で引き返してザックを担ぎ上げるなどお手伝いをした。足のつりに効果があるといわれる芍薬甘草湯を持参していたので飲んでもらったところ、翌朝には普通に歩ける程度に回復していたため、持参を習慣化しようという気持ちになった。

 

 

 

 全員の到着が遅くなってしまったので、スピーディーにテント設営、食事をこなして就寝した。

 

 

 

 

 

(B隊二日目)

 

 朝4時に起床、予定通り5時に高山裏小屋に向かって出発した。小さく下った後登り返し30分ほどで烏帽子岳に到着。展望はかなり良く、澄みきった青空の下、伊那谷の雲海を挟んで中央アルプスが全て見える。すぐ北に塩見岳、その奥には仙丈ヶ岳が見えるが、この方向から見た仙丈は実に雄大で、北沢峠から登っても感じないスケール感が見てとれる。乗鞍岳と同じようなものだろうか。

 

 

 

 鳥帽子岳の山頂にて後発のA隊を待ち撮影、A隊にはそのまま先に行ってもらった。続いてB隊も出発、所々うるさいハイマツをかき分けながらも、全体的に展望の良い尾根道でアップダウンを繰り返し、前小河内岳、そして小河内岳とピークを踏んだ。小河内岳では、山頂の小屋のマスターに牛乳、あんみつ、フルーツ缶など普段の山行ではなかなか持ち込めない食料を大量に、しかも無料で頂いた。ご厚意感謝します、ありがとうございました。

 

 

 

 小河内岳からの下り以降は森林限界を下回ることが多く、展望が期待できなかったためか好調なペースで歩を進め、大日影山を巻き、板屋岳を越え歩き続け、少し早いが10時半頃、目的地の高山裏小屋テント場に到着。こちらも小河内岳の小屋と同じく、避難小屋との表記だがシーズン中は管理人がいて実質営業小屋になっているタイプだ。テント泊も有料で一人一泊600円。水場はかなり遠く、小屋裏手の道から内無沢に降りてその源頭の湧き水から汲む感じだった。マスターは気さくな方で、多くの登山者と山談義を楽しむ姿は印象的だった。

 

 

 

 テントを設営した後夕食まではあまりに時間が長かったので、小河内岳小屋のマスターから頂いた大量の食料でパーティーをしたり、トランプ遊びに興じたり昼寝したりと思い思いに過ごした。16時頃夕食を作り、その後まもなく床に就いた。

 

(ここまで高山裏小屋にて記す)

 

 

 

 

 

(B隊三日目)

 

 高山裏小屋のテント場で3時に起床、予定通り4時に先発のB隊が出発した。ヘッデンを点けて1時間ほど登りとトラバースを繰り返した。道幅が狭い上に崩れやすく、一度片足が足元の土ごと谷底へスライドしてしまいヒヤッとした。

 

 

 

 やや手ごわい鎖を登ると、急に見晴らしが開け、U字谷の中に出た。ここが端麗な荒川前岳北面カールの一番下のあたりで、ここからはカールの谷底を標高差にして500mほど直登する。初めのうちは低木林の中を蛇行しながら高度を稼ぎ、標高2,700mあたりで直線状のガレに出た。これをジグザグ切って登り、終盤で左右にトラバース気味に急坂を詰めると、カールの最上端に到達した。荒川前岳の北西稜に乗っかったことになる。ここから前岳へは距離的にはわずかだが、進行方向右側の谷(荒川岳の「荒川」の谷)が大崩落地形を成し稜線から崩れ落ちており、片側が切れ落ちていたため通行にいささか難儀した。

 

 

 

 無事に全員北西稜を通過し、荒川前岳山頂に到達。するとこれまで見えていなかった富士山が目の前に雲海を伴って大きく現れ、他の山々も雲の上から顔を出し美しく、またこれまで頂稜部しか見えていなかった赤石岳の全貌をとらえることもでき、ここまでの行程で最も感動的な展望に出会うことができた。伊那谷の雲海は相変わらず雄大で、中央アルプスも全て綺麗に見えている。その右に目をやると北アルプス乗鞍岳、小さく焼岳、その右には前穂高岳・奥穂高岳・涸沢岳・北穂高岳・大キレット・槍ヶ岳が視力検査のようだ。いつの時だったかシルエットが大きく見えていた御嶽山はどこかと探していると、「いるぜ!! ここだぞ!!」とばかりに中央アルプス南駒ヶ岳の後ろから頂を覗かせていた。

 

 

 

 展望を堪能し写真を撮ったところで、次の荒川中岳へと向かう。標高は3,050mを超えていてザックもそこそこ重いが、体に大きな異常無し。高山病の症状がが出ないのがありがたい。というかそもそも高山病が顕著に現れたのは昨年個人で行ったカナダが最後で、つい4日前の富士登山でもほとんど発症しなかった。勝因は分からないが勝利である。

 

 

 

 荒川中岳にはあまり時間を割かず、頂上直下の荒川中岳避難小屋に荷物をデポさせてもらい、水やレインウェアなどを小さなザックに詰めて身軽な格好で悪沢岳へ出発した。一度2,920mあたりまで下り、標高200mほど登り返して今回の山旅の最高点・悪沢岳(荒川東岳)の山頂に到達した。ここまで来ると北東側(鳳凰三山など)も綺麗に望め、360度の大展望をこころゆくまで堪能できた。

 

 

 

 眺めにやや飽きてきたところで悪沢岳を出発。荷物が軽いのであっという間に下って登り返し、荒川中岳避難小屋でデポした荷物を回収してもう一度中岳に登り、その先の分岐に従って赤石岳方面に降りていくと、ほどなく今日の目的地である荒川小屋に到着。後発のA隊も全員揃った後テントを設営し、思い思いに山の穏やかな午後を過ごした。16時に夕食を作って食べ、19時頃にテントに入って寝た。

 

 

 

 荒川小屋は非常にお洒落なログハウスの小屋で、トイレは非常に清潔でその仕組みも先進的だった。非常に良いロケーションでもあり、午後天気が崩れなかったので、目の前の谷の奥には終始富士山が大きく見えていた。テント場からすぐ、小屋の本館からも徒歩3分ほどの所に豊富な湧き水を垂れ流しにしている水場があり、飲み水やジュースを冷やすとともに、頭や足、服など洗わせていただいた。

 

(荒川小屋にて記す)

 

 

 

 

 

(B隊四日目)

 

 朝4時、荒川小屋にて起床。朝食はやや時間のかかる味噌or醤油ラーメン。冷えた体が暖まった。食事以外はスムーズにこなしたので、予定通り5時に小屋を出発できた。丁度日の出時刻がもうすぐで、テント場から真正面に見える富士山の左右が紅く焼けて非常に美しかったが、無情にも出発は遅らされなかった。

 

 

 

 縦走四日目ではあるが、毎日少しずつ進んでいる故、メンバー全員元気な様子で、順調に大聖寺平に到着。ここから眼前(というか眼かなり上)3,030m峰までは標高差300mの登りだが、後発のA隊が早すぎるペースでガシガシ登ってきたので、圧迫されるようにせかせか登り、疲れると感じるより前に3,030mピーク、続けて小赤石岳、さらに赤石岳まで登頂した。昨日ほどではないが、山頂からの360度の展望が非常に美しい。富士山をバックに思いっきり高く跳んでいる写真を撮ってもらった。毎回こんなに天気が良く綺麗な写真が撮れるなら、とっくの昔にインスタを始めているのだが。(大雨・暴風の山行記録は6/29-30天狗岳、7/6-7北岳などを参照のこと。)

 

 

 

 山頂でメンバー10人全員の写真を撮ってもらい、一息ついて下山に取り掛かった。下り道では赤石沢、赤石岳、赤石山脈の名の由来となったラジオラリアチャート(放散虫チャート)という石の赤みが美しく、地理愛が膨らんでしまった。

 

 

 

 滑りやすい坂を下りきると程なくして百間平に到着。あまりに早く進みすぎなので、ここで長めの休憩をとったが、特にすることもないのでまたザックを担いで出発した。ここから百間洞山の家までは距離にして1.5km、時間にして30分ほどで、あっという間に目的地に着いてしまった。

 

 

 

 百間洞(ぼら)山の家は、珍しい名前の川「百間洞」の源流部にある山小屋で、稜線からは少し離れている。小屋(水場・トイレ併設)からテント場までは赤石岳方面に徒歩5分、携帯の電波の通じる稜線(森林限界を上回ったところ)までは同じく赤石岳方面に徒歩1015分ほどだった。

 

 

 

 一日通して気温が高く、15時頃から雷を伴う夕立になってしまったので、夕食を各自のテントにてとり、20時までに全員就寝した。就寝直前には上の斜面から赤子の泣くような甲高い声がして、目を凝らして探すと鹿が3頭、こちらを見つめてゆっくりと近付いてきた。しばらく対峙していても何も進展がなかったので、テントに入ってシュラフにくるまった。叫び声は何を意味していたのだろうか。

 

(百間洞山の家にて記す)

 

 

 

 

 

(B隊五日目)

 

 百間洞山の家にて朝3時起床。朝食はお湯を沸かしてスキムミルク+フルーツグラノーラでささっと済ませた。個人的に朝食にフルグラは大歓迎だが、メンバー全体としては昨日の朝ラーメンの方が人気なようだ。

 

 

 

 テント場は水場・トイレのある小屋から離れていたため、テント撤収とパッキングを済ませたメンバーから下の小屋まで降り、そこで集合することにした。ほぼ予定通りの朝45分、百間洞を出発。

 

 

 

 本日のルートは、中盛丸山・小兎岳・兎岳・聖岳と4つの明瞭なピークを踏み、聖平小屋まで下山する比較的アップダウンの多いもの。百間洞の真裏にある大沢岳は、今回は巻くことにした。(実は昨夕、一人で百間洞から大沢岳の中腹まで散策してみたが、人通りのあまりない故道が荒れている上、非常に急峻で、テント泊の装備でここを登るのは厳しいだろうと思った。)

 

 

 

 小屋を出発してしばらくはヘッデンの明かりを頼りに緩やかに登り、何度か急坂を登ると大沢岳から続く主稜線に出た。そのまま登り続けて中盛丸山の頂上に到着。下から見たとき美しく天を指していただけあって、頂上の絶頂感や眺望もなかなかだ。四方に太い尾根を伸ばす巨大な赤石岳と、台形の頂上からストンと稜線を谷底に落とすスリムな聖岳との対比が興味深かった。

 

 

 

 中盛丸山の下りはかなり斜度がありかつ滑りやすかったが、皆元気だったので高速で下山した。あっという間に小兎岳とのコルまで下ってきた。そこで少し休憩をとり、一息で小兎岳を登り、下って若干登り返してまた休憩をとった。兎岳への登りは標高差がありそうだが、頑張って休憩なしで登ってもらうことにして、640分、兎岳に到着した。個人的な話だが、今日の行程中に知り合いの登山者(ソロで南アルプスを6日間、光岳甲斐駒ヶ岳までテント泊縦走予定)の方とすれ違う予定だったので、ここで互いの位置と進行速度を確認し、聖岳の山頂で会う約束をした。

 

 

 

 兎岳からの下りは長く、20分ほど下り続けてようやく聖兎のコルに着いた。中二病的な響きがあるが、いい名前だ。ところで、漢字一文字+岳は格好いい。聖岳。光岳。兎岳。南アルプス中南部の山々がそれを証明している。

 

 

 

 コルからは聖岳山頂までひたすら登りで、さすがに皆疲れてきたようで、適宜休憩を取りながらゆっくりと登った。前聖岳→奥聖岳まで伸びる細長い聖岳山頂は下からも捉えやすく、着実に登ってゆき大展望の頂に到着した。山頂で知り合いの登山者と合流、さらに別の知り合い(高校山岳部のパーティーの一人)とも会い、3人で記念写真を撮影した。彼らと別れた後、山岳部メンバー全員で奥聖岳を往復、前聖岳山頂に戻ってきて明日のタクシーの予約時間の前倒しなど、電波が通じなくなる前にやるべきことを全て終わらせ、下山に取り掛かった。

 

 

 

 聖平小屋・茶臼小屋方面への下りは滑りやすく急な砂礫の坂で、転倒しないよう注意して下った。一瞬にして高度を300mほど下げ、緩やかに下って小聖岳に。そこからは薊平に向けて少しずつ高度を落としていく予定だったが、森の中に入った途端にスズメバチの猛攻に遭い、走りながら聖平小屋まであっという間に下った。(多分、走って逃げたのがかえって刺激したのだろう。) 小屋の人にそれはアブだよと言われた。素人目にはスズメバチにしか見えなかった。ちなみに、大きく成長したアブは人を刺すことがないようだ。

 

 

 

 聖平小屋は荒川小屋に勝るとも劣らぬ非常に素敵な山小屋で、テント泊にもかかわらずウェルカム・フルーツポンチを頂いた他、スイカも無料で頂いた。水場が2ヶ所あり便利で、さらにテント場の横には小さな沢があり、体を洗ったり飲み物を冷やしたりできる。トイレはなんと洋式・水洗だった。日が暮れると小屋の中のランプが良い色で雰囲気を出しているのが外からでも見てとれる。テント泊ではもったいない、是非12食付きで泊まりたい小屋だった。

 

 

 

 昨日と同じく雷を伴う夕立になったので、各自のテントで夕食をつくって頂き、暗くなるとともに寝た。

 

(聖平小屋にて記す)

 

 

 

P.S. この日、北岳山荘~間ノ岳間の稜線にて登山中の方1名が落雷に遭い亡くなられる事故が発生しました。犠牲者の方に心からお悔やみ申し上げるとともに、我々山岳部もそのような事故を起こさないために行動計画・天候判断等、部員全員で今一度見直す機会を作ろうと思っている次第です。

 

 

 

 

 

(B隊六日目)

 

 聖平小屋にて、朝3時起床。素早くお湯を沸かしてラーメンを頂き、今旅最後のテント撤収を終えて4時すぎに出発した。

 

 

 

 3分ほどで光岳から聖岳に延びる主稜線に復帰。そこから昨日駆け降りた道をヘッデンの明かりとともにゆっくり登り、薊平の分岐点に戻ってきた。ここで軽く休憩をとり、西沢渡に向けて気が遠くなる下降を始めた。尾根道だが、緩やかにカーブしていて傾斜はそれほど急ではない。滑りやすくもない。ただ、道を複数箇所塞ぐ倒木(真新しいので、昨年の台風で倒れたのだろうか)が非常に厄介で、時として迂回・回り道を余儀なくされた。しばらく苦戦したが、明るくなるにつれ迂回路の踏み跡も見つけやすくなり、日の出時刻以降は比較的スムーズに下れた。苔平を予定時刻よりかなり早く通過、スピードを維持して下り続け、驚くほどあっという間に西沢渡まで歩いてしまった。途中尾根が広くなっている所(苔平から数十分下った所)は落石の巣窟になっていて、B隊の先頭を歩いていたメンバーは慎重に下っていたにもかかわらず、路肩にあった約70cm四方のかなり大きな岩に接触して落としてしまい、その岩はしばらく尾根道を転がって他の岩を巻き添えにし、やがて西沢の谷底へと轟音を立てて落ちていった。本当にショッキングな出来事であったが、この尾根に限らず遠山川源流域(タクシーで通過したところも含め)はどこも落石・崩壊が酷く、南アルプスの地質的若さゆえの激しい崩落を目の当たりにする一日だった。さらに振り返ってみれば、山腹をトラバースする狭い道で、谷側においた足が足元の土壌ごと谷に落ちかけるというヒヤリ・ハットが自分だけでも何回もあり、この山域(荒川・赤石・聖)で崩落系はいくら気をつけても安全ではないということを私は確信的に主張する。

 

 

 

 西沢渡では事前情報通り、手で動かすロープウェイが設置してあった。試しに一番乗りで飛び乗って渡ってみたが、カゴが金属製で重いせいか、それとも自分の荷物が重いせいか、予想よりも渡るのに力を使い、高校剣道部時代の腕力の残党を総動員してようやく、単独で渡りきった。しかしかなり時間を消費してしまい、メンバーの中には登山靴を履いたまま水量の多い西沢を渡ろうとする者もいた。(結局裸足になって何とか渡っていた。)渡りきった地点で、上流の橋を渡って時短した後発のA隊と合流、休憩した。ここから便ヶ島登山口までコースタイム50分、そこから易老渡登山口まで35分ほどだったが、アニメや映画、麻雀などの話に花を咲かせ歩いていると自然と足取りも軽く、便ヶ島、易老渡と順調に通過した。昨年の大型台風襲来まではここまでタクシーが入ってきたというが、大規模崩落以降は車は芝沢ゲートで通行止め、そこまで追加で2時間弱林道を歩かないといけない。それでも趣味の釣りの話をしたり、下を通る遠山川に視線を落としては、あそこの淵は絶対にヤマメがいるだの、あそこにいかにも安そうなタックル(※タックル: 釣り道具一式のこと)で入渓している人がいるだの話しているうちに、残り30分地点である弁天岩まで下ってきた。ここまで来たらもうあと少しだと思い安心したその時、目の前の道が遠山川に落ちて消えている箇所に出会ってしまった。簡易的な巻き道が斜面の上に向かって延びている。仕方なくその悪路(その道も、いつ崩れるか分からない)を通り、急な登り下りをこなして無事通過。この高巻きは2回あった。

 

 

 

 車道に復帰した所で、ヤマレコを使ってゴールの芝沢ゲートが近いことを確認。一気に歩いてゲートに到着。一年生にもかかわらずこの上級生合宿を歩き通してくれたメンバーと固く握手を交わし、万感の思いをこめてゲートを通過した。標高714m。頑張った、と思う。

 

 

 

 ゲートの先にある駐車場で着替え、荷物整理や山行の反省会をし、迎えのタクシーが来るのを待った。タクシーで11時に芝沢ゲートを出発し1時間ほどかけて平岡駅まで下ったが、思いがけずこれが素敵な時間になった。天竜観光タクシーさんは、今回迎えに来てくださった親子お二方で運営されているそうだ。私が乗った方の車では、聖岳や光岳から始まる遠山川の谷とそこに生きる人々の歴史、伝統、マインドセットなど様々な切り口から興味深い話をいくつもしていただいた。以下に一部を紹介させてほしい。(聞いた話の欠片をできるだけ忠実に書き起こしているが、多少の誤りは容赦願いたい。)

 

 

 

 下山口のあたりから始まる遠山川沿いに山間集落が広がり、遠山郷を形成している。その中でも、標高1,000m近くの斜面に約30の集落が縦方向に連なる下栗は、昔から日本のチロルと形容される美しい景観が有名で、遠くから見たときの形から近年ではマチュピチュのようとも言われ、多くの観光客が訪れる。遠山郷には平家の落武者伝説が残る集落がいくつかあるが、最も有名な集落下栗にはその類いの資料や伝承は全くなく、遠山郷の多くの集落が形成された800年ほど前、自然に成立した集落だと考えられている。

 

 

 

 整備された車道や鉄路を伝って移動する現代人にとって、遠山谷の山間集落での生活は不便に見えるのは当然だ。しかし、自給自足が前提とされた800年前、ここ=南アルプス山中に住むのは至って合理的だったという。伊那谷は高山に挟まれ日の出日の入りが遅いが、南を向いた開放的な山の斜面では効率的に陽が当たり、作物がよく育つ。貴重な資源である木材は豊富にあり、山には人よりずっと多くの鹿や猪が生息、狩れば肉料理を作ることができる。ちなみに、遠山郷で焼肉とは、一般的にジンギスカン風の調理によるものを指し、鉄板で直に焼く「下界」の焼肉とは全く異なるそうだ。

 

 

 

 遠山郷は奇祭でも有名だそう。「霜月祭り」は、集落ごとの神社で行われてきた祭りで、住民たちが800年の伝統を今に伝えている。長いものでは24時間続く儀式や舞が、八百万の神を集落に招き寄せるという。クライマックスは湯切り(湯神楽)のシーンで、神の姿をかたどった面を被った人が、釜の中で煮えたぎる湯を素手で周囲の観客に向かって弾き飛ばし、このとき神社境内のボルテージが最高潮に達するという。宮崎監督の『千と千尋の神隠し』にインスピレーションを与えて有名になったこの霜月祭りだが、人口減少とともに伝統を継承できずその歴史に幕を下ろす集落が続出、23あった会場は今年8まで減少する見込みだ。また、祭を盛り上げて存続を図るには外部からの観光客が不可欠だが、祭の流儀に疎い観光客が増えることで祭の雰囲気が変質してしまったり、他の集落と合同開催にすることでオリジナリティが失われたりと、氏子さんたちの悩みは尽きないようだった。

 

 

 

 最後にもう一つだけ、道の崩落に関連して。もともとこの遠山谷の一帯には、南信濃村・上村という二つの村が存在した。台風などの襲来で昨年のように道路の崩落が起こっても、各村の土木会社が素早く復旧させていたという。しかし、平成の大合併で二村は飯田市に編入される。それ以降、土砂崩落への対応は①飯田市が状況を把握して②崩壊箇所の修復の許可を多くの業者に入札方式で切り売りし③業者が一社ずつ入山し修復していく、と非常に煩雑になってしまい、スムーズに進まないという状況が起こっているようだ。大合併の影響はこんな所にも現れているのかと驚かされた。

 

(東海道本線車内にて)

 

 

 

A隊 記録

 

☆チェックポイントと通過時刻

 

(A1日目)

 

国立0613 === 1152伊那大島駅1210 ==(バス)== 1400鳥倉登山口1425 --- 1520豊口山間のコル1525 --- 1730塩川ルート分岐 --- 1800三伏峠小屋()(行動時間3時間35)

 

(A2日目)

 

0400起床三伏峠小屋0510 --- 0550烏帽子岳0555 --- 0620前小河内岳---0705小河内岳0715 --- 0825大日影山 0830 --- 0855板屋岳0900--- 0955高山裏避難小屋()(行動時間4時間45分)

 

(A3日目)

 

0300起床高山裏避難小屋0410 --- 0500荒川カール取付0505 --- 0650前岳0700 --- 0705

 

3049m地点 --- 0715中岳 --- 0720荒川中岳避難小屋(デポ)0730 --- 0800東岳(悪沢岳)0835 ---0910荒川中岳避難小屋(デポ回収)0920 --- 0930中岳0935 --- 1020荒川小屋() (行動時間6時間10分)

 

(A4日目)

 

0400起床荒川小屋0510 --- 0535大聖寺平0540 ---0620小赤石の肩0625--- 0640小赤石岳 0645--- 0705赤石岳0740 --- 0805大斜面の下コル0810---0850百間平0905 --- 0930百間洞山の家()(行動時間4時間20)

 

(A5日目)

 

0300起床百間洞山の家0415 --- 0500百間洞下降点0505 --- 0520中盛丸山 --- 0555小兎岳 ---0645兎岳0655 --- 0725聖兎のコル0730 --- 0845前聖岳0850---1020小聖岳1035 --- 1050薊畑1055 ---  1110聖平小屋()(行動時間6時間55分)

 

(A6日目)

 

0300起床聖平小屋0410--- 0425薊畑0430 --- 0515苔平0520 --- 0640西沢渡(手動ロープウェイ渡河)---0740聖光小屋・便ヶ島0750 --- 0805易老渡 --- 0915芝沢ゲート(タクシー

 

乗り場)1100 ===(タクシー)=== 1200平岡駅(行動時間5時間10分)

 

 

 

☆行動と感想

 

(A1日目 A隊記録:井上)

 

 ひどい朝だった。予定の電車がこない。息を吸うように朝から松屋で大盛りをキメたのだがそのせいで時間がギリギリになり、予定の電車にちょうど乗る体勢となっていたのだ。中央線はいつも期待通りには動かない。結果的にただでさえお金のない僕の財布からあずさに献金する結果となった。合宿の始まりとしては最悪な心境だった。移動時間は先輩と話したり、音楽を聴いて過ごす。水は4リッター持っていたがなくなると怖いので下界にいるうちにタレント鶴瓶の顔がついた麦茶を買った。彼の顔がつく商品の「増量」の幅が年々ひろがっている、みたいな話が好きだ。どうせなら二倍くらいに増量してほしい。登山口行きのバスにはスムーズに乗れた。よく眠った。登山口は当然だが多くの山の民たちで賑わっていた。後から振り返ると合宿全体を通してある意味貴重な、雨降る行程を辿ることとなった。山行開始直後は、雨が降っていただけならともかく、登り始めの辛さとこの後六日間続く合宿の行程への思いがごちゃまぜになってとてもきつかった。荷物もフルな上で、暑さ/湿度が相まってすごい気分だった。これがどういう気分だったのかをうまく説明できるような語彙力を備えた大人になりたい。歩いているうち、メンバーの1人が順番に両足をつってしまい、一時停滞となったが、主将の的確な判断や各部員、通りすがりの大人たちの協力によって大事に至らず、6時ごろにテント場に着いた。なお、僕と先ほど足をつってしまったメンバーで先ほど助けていただいた男性二人組に感謝の挨拶をしに山小屋へ向かったのだが(小屋泊とおっしゃっていたため)、完璧にはお二人の顔を覚えていなかったこと、小屋泊の料金も払っていない、いかにもテント泊しそうな若者二人で料金を払っている方々のプライベートスペースを土足で蹂躙することへの気恥ずかしさ、そして何より、山小屋とはそもそもおじさんがいっぱいいるところであり、お目当てのお二人も「おじさん」である以上、もはや手がかりがほぼゼロに等しかったことなどが原因で捜索は中断された。また、三伏峠小屋の受け付けをされていた男性は、2000年卒の一橋山岳部OB・船方さんであると判明した。日本は狭い。

 

 

 

 

 

(A2日目)

 

 5時に出発した。この日からずっと快晴が続くこととなった。烏帽子岳での展望が素晴らしく、“俺の夏”の始まりを感じた。「夏」合宿なのに薄手の長袖を着られるくらいの心地よい風と展望に抱かれながら尾根を歩いた。サクサク進んで10時前に高山裏避難小屋に到着した。B隊と合流すると、何やら大量の食料を小河内岳の小屋の方からいただいたとのことで、ありがたく頂いた。特に牛乳には驚いた。普段下界にいても牛乳を飲まないので、気分が良くなっていっぱい飲んだ。そのせいか驚くほど体内の生理的な働きが促進され、3回か4回はトイレに行った。水を得た魚のように腸が活動するのを感じた僕は、普段からもっと自分の体と向き合うべきだと切実に感じた。山に来ると普段見えないものが可視化(腸の働きは見えない)されてくる気がするのはやはり気のせいだろうか。明るいうちはUNOに興じ、夕方はテントの中で先輩たちと一緒に、Netflixでダウンロードしておいた「英国王のスピーチ」をみた。映画のプロットとして、自分の立場と相容れない障害を持った者の苦悩を描くというのは良くあることだが、この映画はその克服の過程を、ユーモアを交えながら、人々の人生に不可避的に立ち現れてくる歴史的な現実と照らし合せつつストーリーを展開していた点でとても良かったなぁ(小並)と思った。登山自体に楽しみを見いだすのはもちろんだが、空いた時間に何をするかもっと色々検討できる気がした。

 

 

 

(3日目A)

 

 この日はやや遅く5時に出発した。高山避難小屋から荒川前岳までの500mほどの登りが結構辛かった。歩き始めてすぐに、細い道で思い切り左足で空中を踏み抜いて滑落しかけたのがハイライト。僕はいかにも滑落しそうな道でよくログアウトしそうだなおいなどと心の中で宣ってしまうのだが、本当にログアウトしそうなときほど自分のログアウトの可能性など毛ほども気にしていないものである。荒川中岳避難小屋で荷物をデポして散歩に向かう。今更だが天気はやはり素晴らしく、√みたいなV字のアップダウンを軽快に歩いていくと荒川東岳に到着。ガレ場のような頂上はとても広く、遠く富士山も綺麗に見通せて気分が良かった。中岳避難小屋で荷物を回収して荒川小屋に向かう。この道がとてもハイジ感があって良かった。3,40分歩いてたどり着いた荒川小屋は、南アルプスの楽園だった。最初にトイレに行った者の言葉はそれを如実に表している。「大学のトイレより綺麗」…やはり民度だろうか。事実、臭くもなければ、小窓から見える展望まで最高な荒川小屋のトイレはもはや一種のスポットと言ってもいい気がする。テントサイトから歩いて2分のところには川。天国か。思わず全身を清め、タイツまで洗ってしまった。川で冷やした牛乳も最高だったし、夕食も美味しかった。僕のこの夏休みを振り返ると、間違いなくこの荒川小屋でのひと時が思い出されるくらいには良い時間だった。テントでは84年にアメリカで出版された”Neuromancer”を読みながら6時くらいには寝落ちしてしまった。ハイテクと汚濁の都、「千葉シティ」を舞台とし、電脳空間を飛び回るかつての腕利きカウボーイを主人公とするサイバーパンクSF小説であり、とても面白いのだが、小説内での専門用語を別の専門用語で解説するような進み方なのであまりに読みづらい。あの「攻殻機動隊」にも影響を与えた作品らしく、なんとか読破せねばと謎の使命感が湧き出ている。

 

 

 

(4日目A)

 

 この日も5時ごろに出た。今までもそうだが、この日は特に次の行き先がとてもはっきり現前していたため、とてもあっという間に感じた。赤石岳頂上からの展望は悪沢岳に勝るとも劣らない素晴らしいものであった。どうでもいいが悪沢岳Tシャツを買わなかったことを後悔している。の文字が刻まれたTシャツなど願ってもそうそう手に入るものではない。赤石岳からの下りでは「大斜面の下コル」などと銘打っているように、急で何度も転びそうになった。百間平に着いてからはほとんど散歩であった。百間洞山の家は「家」とテントサイトがやや離れていたが、やはりしっかりと整備されており良い午後が過ごせた。そんな良い午後を優雅に飾ったのは最高の天気とロケーション、そして映画である。2本目に選んだ映画はトム・ハンクス主演の「フォレスト・ガンプ」であった。我ながらなぜダウンロードしておいたのかわからないが、なかなか良いチョイスだったようだ。60-70年代のアメリカを歴史的背景とし、いい意味でフィクションらしい激動の人生を歩む主人公フォレスト・ガンプの姿がユーモラスに描かれており、とても良い後味の映画であった。自分がなぜ山に登るのかよく疑問に思うことがあるのだが、この映画を見て理由も何もいらないのでは、という心境に至った。行けるうちにできるだけ多くの山を登っておこうと思う。

 

 

 

(5日目A)

 

 この日はこれまでより、やや長めの行動時間で聖岳を目指してひたすら登った。中盛丸山、小兎岳、兎岳など何度もピークを踏ませておいて大きく下ってから初めて聖岳への登りが始まるというルートで、特に合宿5日目にふさわしいキツさの行程だった。一度、もう少しでピークか…?と思い、見上げるとまだまだ遠くに頂上が見えた瞬間があり、聖岳の大きさを身に染みて感じた瞬間だった。頂上からの展望は雄大で、荒川三山や赤石岳も含め大パノラマが楽しめたのだが、如何せん5日目。なんか見たことあるなこれ、という感想になってしまっていた。景色を楽しめなくなったら終わりだと思っている。聖平小屋までの道は正直辛かった。特に、どう見ても蜂みたいな黄色い羽虫(のちに態度のデカいアブもどきと判明)に追いかけ回されながら薊畑まで向かう時間が苦痛であった。しかし、荒川小屋が南アルプスの楽園-リゾート-なら、聖平小屋は南アルプスの高級ホテルであった。着くとすぐにフルーツポンチとスイカによるおもてなしを受けた。あんなにフルーツポンチとスイカが美味しかったことはない。最高のホスピタリティを見せてくれた聖平小屋は、やはりあそこもぬかりなかった。トイレである。もはや水洗であった。もちろん大学のトイレより綺麗だった。テントサイトから徒歩0分で綺麗な川もあり、南アルプスの洗礼の水を浴びながら、皆で合宿の締めくくりを祝った。ほぼ最終日にして荒川小屋を超えるトイレの綺麗さを誇る小屋が出てくるとは思わず、最高の午後を過ごすことができた。

 

 

 

(6日目A)

 

 下りをただ進み続けるだけの行程であった。高度差1500m4時間弱で降りたため、結構ハードであった。途中では道が荒れ、ピンクの目印を必死に探しながら進んだ。特筆すべき点があまりなかった。後半の西沢渡での渡渉は、ゴンドラがあまりに目立っていたため先に着いていたB隊がゴンドラを使っていたが、よく見るとちょっとした橋がかけられており、そこを伝うとすぐに対岸に出られた。しかし、せっかくなのでゴンドラに乗って真ん中まで往復した。ゴンドラがあったら乗りたくなるのが人の性だと思う。8時過ぎに易老渡に到着したが、ここからの2時間弱の歩きが合宿全体を通して最高にキツかったことを添えて、記録の結びとしようと思う。

 

 

 

 

 

 

 

☆収穫と反省(AB共通/山下)

 

 

 

 今回の山行はとにかく天気に恵まれ続けた、というのが率直な感想だった。気温が上昇して午後3時頃に雷雨、という日は何日かあったが、それを事前に知っていて早出早着していたので天候で肝を冷やすということは無かった。思い返せば昨年は梅雨明けが早く気温が上昇、8月は台風アフター台風でほぼ全ての山行が中止・日程短縮・延期のどれかを迫られた。今夏も既に台風がいくつか発生しているが、その間隙をうまくつく感じで山行ができたことを非常に嬉しく思う。

 

 

 

 また、メンバー10人全員で最後まで歩き通せたのも大きな収穫だと思う。今回は頼れるエスケープルートが存在せずリスクが高かったが、初日に足が攣るアクシデントが発生した以外は皆怪我もなく、最後の芝沢ゲートまで歩き続け、この人数で56日の山行を問題なく実施できることを証明し、来年以降の山行への指針となったはずだ。

 

 

 

 他に今回の山行で良かった点をいくつか。まずは「テント割の固定」。今回は5泊通して同じテント割を使い、各テントに泊まる人が本体・フライシート・ポール・ペグを分担することにした。これにより次第にテント設営・撤収時に連携がとれるようになってゆき所要時間が短縮するなどメリットが多かった。また、共同装備を分担する際、各装備の重量をグラム単位で計測し合計、メンバー間の重さの不平等がないように分担できたのも非常に良かった。さらに、昨年の山行と比べるとメンバー一人ひとりの体力がアップしているのが確かで、山行が連続している人も前回山行の疲労を引きずってダウンすることがなく6日間の行程を完遂できた。(たとえば私は白馬、富士山、南アルプスと連続し下界滞在時間が合計3日しかなかったが体力的には問題なく、昨年と比べると脚力は上がった気がする。ストックにお世話になりっぱなしだが。)

 

 

 

 次に今山行の反省点。山行の振り返りミーティングで多く上がった話題が行動食だった。簡単に言うと、行動食が少なすぎた、多すぎた、カロリーをしっかり計算していくべきだった、など。ただ部員のほとんど(全員?)にとって5泊の山行は初めてだったので仕方ないところはあると思う。単純に泊数の分だけ行動食を増やしていけば良いというわけではなく、1泊、5泊それぞれの行動食計画があると実感できたなら、今回の山行に参加して良かったのではないか。

 

 

 

 また、朝の起床時刻についても問題があった。たとえば朝3時に起きる予定の日。テントによって、245分、250分、3時などとアラームを設定する時刻にずれがあった。この場合、早い時刻に設定したテントから撤収が終わってゆき、出発時刻までかなり持て余すという状況も見られた。撤収作業に慣れた上級生グループで、しかも朝から晴れた日なら、3時より前には行動しなくてもよいのではないか。

 

 

 

 CLからの注意としては、以下のようなものがあった。まず1つは独断的行動をしないようにとのこと。ロープウェイや小橋で渡れる沢で渡渉を試みる、などがその例に挙げられるが、長期縦走でリスクを減らすには皆ができるだけ同じルートを通るようにするのが良いのは間違いない。あとは「2番目の意味」。体力やその他もろもろで不安のあるメンバーは先頭から2番目を歩け、とはよく言われる。先頭を歩く人にペースをこまめに調整してもらうため、というのもその理由ではあるが、2番目を歩く最大のメリットは「誤差」が少なくなること。通過に時間がかかる鎖場・急坂・倒木などを通過するごとに先頭と後方の差が開いてゆき、後ろを歩く人ほど、簡単な所でゆっくり、難所で速くはめになり、結果として最後尾の人はソロ山行の時よりも体力を消費してしまう。なので体力の不安な人を2番手に持ってきているのであって、このルールを常に守るべきこと。

 

 

百間洞山の家出発後まもなく目にした鮮やかな朝焼け。(8/7 4:50頃、撮影:平野)

 

 

巨大な赤石岳と荒川小屋。(8/5 9:50頃、撮影:平野)