夏合宿@薬師岳・雲ノ平・水晶岳・鷲羽岳(17/08/03-07)


 

☆天候

 

8/3:晴れ、夜に雨

8/4:曇り時々晴れ、夜に雨

8/5:晴れ、夜に雨

8/6:晴れ時々曇り、夕方から次第に雨

8/7:晴れのち曇り、夕方から雨

 

☆コースタイム

 

8/30日目):電鉄富山駅0852===0946有峰口駅1000・・・1055折立(泊)

8/41日目):折立0350---0550三角点ベンチ0600---0730五光岩ベンチ---0823太郎平小屋0840---0900薬師峠キャンプ場(デポ)0940---1020ケルン---1100薬師岳山荘1115---1210薬師岳1245---1315薬師岳山荘1345---1430ケルン---1500薬師峠キャンプ場(泊)

8/52日目):薬師峠キャンプ場0505---0527太郎平小屋0535---0700左俣出合---0810薬師沢小屋0830---1040(木道始まり)1050---1115アラスカ庭園1125---1200祖母岳分岐1210---1215祖母岳1225---1230祖母岳分岐1235---1240雲ノ平山荘1255ーーー1310雲ノ平キャンプ場(泊)

8/63日目):雲ノ平キャンプ場0447---スイス庭園---0540祖父岳方面分岐0550---0613祖父岳0625---0645岩苔乗越---0710ワリモ北分岐(デポ)0727---0755水晶小屋0803---0835水晶岳0847---0925水晶小屋0935---1003ワリモ北分岐(荷物回収)1020---1118鷲羽岳1137---1235三俣山荘(泊)

8/74日目):三俣山荘0405---0505三俣蓮華岳0515---0607分岐0610---0633双六岳0650---0735双六小屋0755---0845分岐0850---0915鏡平小屋0925---0955シシウドヶ原1005---1050秩父沢出合---1130小池新道登山口---1145わさび平小屋1155---1245新穂高温泉

 

 

 

☆行動と感想

 

【合宿の目的・意図】 

 

 この合宿は、本年度実施したレベルの異なる2つの夏合宿のうち、主に2年生以上の上級生を対象としたものである。現在の部は、夏山縦走のレベルを高めることを主眼に置いて活動しているため、この合宿は部の日々の活動の集大成として重要な意味を持っている。また、僕自身としても、2年生の本格的な新歓開始時から約3年間部の建て直しに取り組んできた中で、この合宿を成功させることで部の成長の度合いを確かめてみたかった。

 

 このコースを選定した理由は大きく2つある。1つめは、技術的に困難な箇所がなく、かつ縦走の泊数を去年(常念山脈縦走、2泊3日)より伸ばすことができるからだ。2つめは、僕自身の雲ノ平への強い憧れだ。山岳部入部直後に買ったアルプスの各山々を紹介する雑誌で「日本最後の秘境」と紹介され、社会人になってからは日程の関係上行くのが困難になるのではないかと考えられる雲ノ平にぜひ学生のうちに行ってみたいとずっと思い続けていた。以上のような理由から、雲ノ平をメインの行き先に据え、加えて縦走が可能と思われる山々を組み込んで今回の計画を作成した。

 

 

 

【事前準備】

 

 具体的なコースの策定や参加者の決定、係の分担などは6月上旬くらいから始めた。コースについては、雲ノ平を通る4泊~5泊の行程という条件で、特に迷うことなく決めることができた。参加者に関しては、日程的に都合のつく昨年度からの部員は基本的にこの合宿に参加することになった。(1年生の三宅は、中学生の頃から南アルプスなどの登頂経験があったため、北岳合宿ではなくこちらの雲ノ平合宿に参加してもらうことにした。)

 

 学生だけでの活動再開後最も泊数の長い合宿となったため、計画を立てる上で不安な面もあった。まず泊数が長い分、危急時の対応については念入りに対策を練る必要があった。とはいえ、雲ノ平周辺はエスケープルートがないため、山の中に入ってしまえば基本的には前進あるのみだった。途中でケガ人や病人が出ないことを祈るばかりであった。また、部の食事のレパートリーの少なさが露呈したように感じた。どうしてもレトルト食品の割合が高くなる傾向にあるので、栄養バランスの面から考えても、レトルト食品に頼らず、かつ重量・保存性などのバランスが取れたメニューを増やす必要があると感じた。

 

 装備分担は、731日に部室で行った。ザックカバーが行方不明となりそれを探すのに手間取るなど、まだ備品の管理に不十分な点があると感じた。装備係を中心に備品目録に基づく管理を徹底し、備品の所在を確実に把握する必要がある。

 

 出発前の時点で、2年の岩崎が家庭の事情で、3年の安藤が体調不良のため欠席することとなった。今回はどちらもやむを得ない理由であるため仕方なかったが、日程が事前にわかっているものに関しては計画書作成の前に報告する、合宿前に無理な個人山行を実施しないなど、合宿に向けて万全のコンディションを整える努力は怠らないでほしい。装備分担などの面で計画そのものに影響を及ぼしてしまうということのみならず、合宿は部の活動の中で最も重要なものであるという意識を強く持ってほしい。

 

 

 

83 移動日】

 

 83日の朝8時半に富山駅集合とし、そこまでは各自新幹線や夜行バスを使って移動した。財政的に余裕のない僕は、82日の夜に東京駅から夜行バスに乗った。東京駅八重洲口のバス乗り場には、僕と同じように大型ザックを背負った山ヤらしき人を見かけた。翌朝富山駅に到着すると、駅前にはたくさんの登山客や大学山岳部らしき団体がいた。前泊地の折立は携帯の電波が通じないと聞いていたので、ここで天気予報を確認した。3日目頃から天候が急速に悪化するという予報を見て、不安が増すばかりであった。

 

 新幹線組と合流した後地鉄に乗って有峰口駅へと移動し、そこから折立行きのバスに乗り込んだ。天気は快晴で、出発前のバス車内はサウナのようであった。駅から折立までは1時間だったので、話しているとあっという間だった。

 

 折立のキャンプ場は、平らな芝生のサイトで近くに水洗トイレもあり、水場の水が煮沸しないと飲めないことを除けば快適だった。11時ころに到着した後は暇だったので、トランプなどをして遊んだ。夕飯は豪華にパエリアだった。生のパプリカや冷凍のシーフードミックスを使い、非常に食べごたえがあった。夕飯が終わったころ、森林管理事務所から付近で熊の親子が目撃されたという注意のアナウンスがあった。「折立の熊は人を襲ったことはない」と言っていたが、そんなこと言われても安心できるはずがない。とにかく食べ物やごみをザックの奥深くにしまうよう部員に指示した。

 

翌日は行動時間が10時間ほどと長いため、計画より起床時間を早めて2時起床とした。早々に就寝しようとしたが、夕方過ぎから車で乗り付けてきた前泊するおじさん、おばさん達が大宴会を始めた。宴会の騒音と熊への不安、テント内の蒸し暑さ、そして明日から始まる大縦走への期待…要因は様々だが、なかなか寝付けなかった。

 

 

 

84日 1日目】

 

 起床してテントの外に出ると、満点の星空だった。予報通り今日の天気は良さそうだと安心して準備を進めていたが、ここで2年の山本から体調が悪いという報告があった。いつもは疲れた顔一つ見せない山本が、苦しそうな顔をしていたのでただ事ではないと思った。今回のコースは、一度雲ノ平周辺まで入ってしまうとエスケープルートがない。日程が長いことも考慮して、苦渋の決断ではあったが、山本にはここで下山してもらうことにした。当初の計画段階では11名だった参加者は、結局入山の段階で8名まで減ってしまった。今回はパーティを1つにして、目立った危険個所も特にないため列順を変えながら進んでいくことにした。

 

 折立を出発して最初の2時間は急登だった。5日分の食料や装備が入ったザックは20キロを超え、起床直後の体で登る急登には重すぎた。樹林帯のため風も抜けず景色も変わらず、体力的にも精神的にも辛い2時間だった。急登が終わる三角点ベンチが見えると素直に嬉しかった。

 

 三角点ベンチを過ぎると、そこからは草原が広がっていた。去年の夏に行った常念山脈の記憶から、北アルプスは岩でゴツゴツしているというイメージを持っていたが、ここでは南アルプスのような深い緑が広がっていた。後ろを振り返ると、手前には有峰湖、奥には富山市街と日本海、遠くにはうっすらと能登半島が見えた。海まで見渡せる解放感のある景色を眺めていると、これまでの急登の疲れが吹き飛んだ。だが、反対側の薬師岳方面は雲に覆われて視界が悪かった。少しずつ空の中で青空が占める割合が大きくなってきているようにも見え、自分たちが薬師岳に登頂することには晴れていることを祈りながら進んだ。

 

 太郎平小屋に着くと、目の前に黒部五郎岳や雲ノ平方面の山々が広がっていた。明日からは今見えている山々の奥へ入っていくと考えると、大変そうにも思えたがそれ以上にワクワクしてきた。太郎平小屋からテント場までは木道を歩いて20分ほどだった。ここでテントを張り、荷物を軽くしてから薬師岳へピストンすることになっていた。重い荷物を下ろせるのは心の底から嬉しかった。手早く設営を終え、一休みしてから再び薬師岳へ向かって歩き始めた。

 

 登り始めてしばらくは、小さい沢を登る急登だった。荷物が軽くなった分、そこまで疲れは感じなかった。途中、コース上ではないが雪渓が残っている場所もあった。周りにハイマツが広がる木道を過ぎてしばらく登ると、薬師岳山荘に到着した。ベンチに座って休んでいると、霧が晴れてきて薬師岳の山容が見えてきた。白い山肌と曲線的な形は、南アルプスの女王と呼ばれる仙丈ケ岳を思わせ、薬師岳が北アルプスの女王と呼ばれる所以が分かった気がした。

 

 薬師岳山荘を出発し、避難小屋を目指して急登を登り切ると、右側に所々に雪が残るカールが見えた。このカールも、仙丈ケ岳と似ていると感じた。山頂に到着すると、残念ながら周囲にはガスが出ており、眺望を楽しむことはできなかった。しかし、長い行動時間を経て折立から標高差1600mほどを登り切った達成感があった。同時に、長い行動時間から疲労を感じ、しばらく山頂でボーっと休憩した。

 

 山頂での記念撮影後、テント場へ向けて下山を開始した。今日は一日中登ってばかりだったので、下りがとても楽に感じた。話しながら歩いていると特に問題なくテント場へ到着した。予定時刻よりずいぶん早く到着したので、いいペースで歩けたと思う。夕食は白米とレトルトのハンバーグだった。とにかく腹が減っていたので、チープなハンバーグもとても美味しく感じられた。食事の準備中に食料係が計量カップを思いっきり踏み粉々に砕いてしまっていた。初日から早速計量カップを失い、みんな笑うしかなかった。

 

 

 

85日 2日目】

 

 昨日と同様、テントから出て空を見上げると晴れているようだった。テント場から太郎平小屋まで続く木道から有峰湖方面を見ると、雲海がびっしりと広がり幻想的だった。太郎平小屋からしばらく木道を歩いた後、地図から予想していた通り、そして太郎平小屋から雲ノ平方面を見てわかる通り、雲ノ平の手前にある谷を越えるために急な下りが始まった。日の出とともに気温も上がり、嫌な下りだった。いくつか渡渉点があったが、予想よりしっかりとした橋がかかっており全く問題なかった。

 

 渡渉と下りが終わって平坦な草原のような場所をしばらく歩くと、ようやく薬師沢小屋に着いた。小屋の横には水量豊富で澄み切った川が流れていた。幅が狭く少しスリリングなつり橋を渡り梯子を下ると、川の真横に出た。川の水で頭を洗い、リフレッシュした。

 

 休憩後、本日最大の難所である雲ノ平までの急登が始まった。地図を読んでいるだけで辛そうであることが予想できたのである程度覚悟はしていたが、いざ実際に登り始めると予想をはるかに上回る急斜面だった。木々の隙間から空が見えて登りが終わったかと思うと、まだ先に斜面が広がっているということを何回も繰り返し、次第に文句を言う部員が増えてきた。登り切れば念願の雲ノ平に到着すると自分を鼓舞して悪戦苦闘すること2時間あまり、ようやく急登は終わりベンチで休憩した。どの部員も、今まで経験した中で最も嫌な登りだったと言っていた。

 

 休憩後歩き出すと、次第に周りのハイマツの背が低くなり、視界が開けてきた。ついに“日本最後の秘境”、雲ノ平に入った。北側には昨日登頂した薬師岳、北東側には独特な色合いの赤牛岳、東側には明日のぼる水晶岳と鷲羽岳、南東側には一目でそれだと分かる槍ヶ岳、南側には黒部五郎岳…どこを見渡しても山に囲まれ、ここがどれだけ山深いところにあるか実感することができた。ちょうど花の時期だったのか、様々な種類の高山植物が咲いていて、まさにオアシスという雰囲気だった。祖母岳は荷物を分岐に置いて空身で登った。山頂からは雲ノ平全体を見渡すことができ、草原に伸びる木道とポツリと立つ雲ノ平山荘を除いて人工物は見えなかった。日本にこんな場所が残っているのか、と感心した。

 

 祖母岳から下りてすぐ雲ノ平山荘へ到着し、休憩後テント場へ向かった。このテント場は山荘から25分ほど離れている。斜面にあるテント場のため、テントを張る場所探しに苦労した。日差しを遮る日陰もなく、とても暑かった。夕飯はトマト缶とソーセージのコンソメスープで、元々僕が提案したメニューだったので予想通りの美味しさだった。翌日は天気の崩れを心配して、計画より出発時間を早めることにした。日本列島に接近していた台風の動向も気になったが、どうあがいてもここにはエスケープルートがない。停滞するほかはただ新穂高温泉を目指すしかないので、できるだけ天気がもつように祈るばかりだった。

 

 

 

86日 3日目】

 

 3日連続で、起床後に晴れた空を見ることができた。メガネをかけると顔に違和感を覚え、触ってみると左目の周りが腫れていた。前にも足や手が同じ腫れ方をしたことがあるので、原因は虫刺されだろうとすぐに勘付いた。昨日夕食時に虫が多かったので、そのときに刺されたのだろう。

 

 テント場から東側に直登できれば祖父岳は近そうだったが、現在は植生回復のため登山道は閉ざされており、祖父岳はスイス庭園方面へと大きく回り込まなければ登ることができなかった。このあたりの地図上のコースタイムの表記が曖昧で、祖父庭園へは予想以上に時間がかかった。周囲が明るくなってくると、他の部員から目の腫れがひどいことを指摘された。スマホの画面を鏡代わりにして自分の顔を見てみると、KOされたボクサーのような顔になっていた。

 

 祖父岳直下付近には、昨日雲ノ平山荘で情報を得たようにコース上に雪渓が残っていた。祖父岳山頂からは、槍ヶ岳がとても綺麗に見え、想像以上の絶景を楽しむことができた。

 

 雲ノ平の景色とは別れを告げ祖父岳を下り始めると、だんだんと水晶岳と鷲羽岳が近づいてきた。岩苔乗越から急登を登り切ると、ワリモ北分岐に着いた。ここで水や行動食、雨具など以外の荷物をデポし、水晶岳への往復2時間半は空身で行動した。荷物を置くと、驚くほど足が軽く上がるようになった。水晶小屋まではなだらかな登りで、コースタイムの3分の2ほどの順調なペースで進んだ。水晶小屋を過ぎるとだんだん岩場のような道になっていき、足を滑らせたらまずそうな箇所もあった。今まで歩いてきた雲ノ平の広大な草原とは対照的で、同じ山域で大きく雰囲気が変わるのが面白かった。山頂ではガスが出てあまり眺望はきかなかったが、狭くて岩でゴツゴツした山頂から雲がかかる稜線を見ていると、とても高いところまできたという達成感を覚えた。

 

 水晶岳山頂から水晶小屋まで戻ると、携帯の電波が入ったため天気予報を確認した。予報によると、台風は2日後の夜に最接近するため、2日後の午前中には下山すべきとのことだった。警戒事項の欄に「強風によるテントの倒壊」と書いてあったので、稜線上にある笠ヶ岳山荘に幕営することは絶対に避けた方が良いと思われた。この情報をもとに、今日の夜に今後の行動の再検討をすることにした。

 

 ワリモ北分岐で背負いたくない90ℓザックを再び背負い、本日最後の登りである鷲羽岳への登頂を開始した。山と高原地図には危険個所の表示があったため警戒していたが、さっき登った水晶岳の方がよほど危ないのではないかと感じた。荷物の重さに不平を言いながらも、コースタイムと同じくらいのペースで鷲羽岳山頂に着いた。今まで稜線上からの景色は楽しめたが、山頂にいるタイミングが良くないのか、今回もまたガスが出ていた。少し長めに休憩を取った後、本日の幕営地である三俣山荘へ向けて急坂を下り始めた。眼下に広がる三俣蓮華岳へ続く深い緑の稜線は、所々ある残雪がアクセントになりとても綺麗だった。同時に、明日の朝この稜線を登り返すことを考えると少し憂鬱になった。

 

 三俣山荘に到着すると、左目の腫れは更に悪化し、眼鏡がまっすぐかけられないほどになっていた。運がいいことに三俣山荘には岡山大学と香川大学の医学部が運営する診療所があった。経験上持参した薬を塗っていれば大丈夫な気もしたが、思ったより腫れがひどいので念のため診療所のお世話になった。学生と先生が手当てをして下さり、薬まで出していただいてとてもありがたかった。今日は比較的早めの到着だったので、設営後に部員みんなでトランプをした。山でやるトランプは、なぜかいつもより楽しい気がする。夕食後のミーティングで、台風接近のため翌日は笠ヶ岳登頂を断念し、鏡平山荘を経由して少なくともわさび平小屋までは下山することを決めた。祖父岳などからその綺麗な山容を見て、ぜひ笠ヶ岳には登りたいと考えていただけに、非常に残念だった。しかし、相手はただの雨ではなく台風ということで、ある程度諦めがつく部分もあった。とにかく明日中に安全な場所まで下山できることを祈り、眠りについた。

 

 

 

87日 4日目】

 

 朝起きると、山荘の前から白っぽい鷲羽岳と力強く光る星が見えた。空には雲一つ見えず、この合宿中最も天気が良かった。三俣蓮華岳へ続く稜線の途中、振り返ると鷲羽岳の横から綺麗に昇ってくる朝日を見ることができた。台風が近づいているなんて、まるで想像がつかなかった。

 

 三俣蓮華岳から双六岳まで終始視界は良好で、ずっと景色を楽しむことができた。去年の常念山脈ではほとんどその姿を見ることができなかった槍ヶ岳が、この合宿では終始見えていた。4日間ずっと良い景色が見えていたので、むしろ感覚が麻痺して感動が少しずつ薄れているような気がしたほどだった。双六岳山頂から槍ヶ岳の方へ伸びていく道は、まさに雲ノ平を知ったきっかけとなった雑誌で見た写真と全く同じ風景であった。少し時間をとって、みんなで記念撮影大会をした。もう少しゆっくりとこの景色を楽しんでいたかったが、天気が崩れることを考えるとあまりのんびりもしてはいられなかった。

 

 足早に双六小屋まで歩き、ここで今日中に新穂高温泉発のバスに間に合いそうだという話になった。地図を読む限り沢沿いにあると思われるわさび平小屋でテントを張ることに不安もあったので、一気に新穂高温泉まで下山してしまうことに決めた。弓折岳手前の分岐から本格的な下りが始まった。重い荷物を背負って4日目の下りは、足はもちろん意外と肩がやられた。標高を下げるにつれて気温が上昇し、精神的にも嫌だった。何を話したかよく覚えていないほど他愛もない話をしながらひたすら下り続けていると、ようやく林道に出た。これで、いくら雨が降ってきても安全に帰れるだろう。天気が崩れる前に下山できてほっとした。山側を振り返ると黒い雲がかかり始めており、ちょうど新穂高温泉のバス停に着いた頃に雨が降り始めた。本当にいいタイミングで下山できて運がよかったと思った。

 

 バスで松本まで出ると、なんと中央線が動いていなかった。仕方がないので高速バスを予約してから、松本駅から歩いて20分ほどの温泉へ向かった。温泉を出た後回転寿司で久々の下界の食事を楽しみ、満足げに松本駅へ帰ろうとすると、先に高速バスに乗った部員から高速バスが運休になったという連絡が入った。まさか、松本から出られなくなるとは思ってもいなかった。これが山の中でなくて良かったとも思いながら、渋々ネットカフェを探して泊まった。ネットカフェはテントより断然寝心地が良かった。

 

 

 

【総括】

 

 今回の合宿は、入山直前で体調不良の部員が出る、そして残念ながら台風の影響で1日分短縮となってしまうというトラブルがあったものの、山中で大きなケガもなく全員無事に下山することができたので概ね成功と言えるのではないか。

 

 それでも、いくつか反省点や今後に向けた課題はある。まず、実際に合宿に参加した人数は、当初の計画段階より3名も減ってしまった。今回は個別に事情があったので仕方ない部分もあるが、合宿を最優先に考えるという姿勢は部内で確実に共有すべきである。個人山行などの実施は自由だが、それが原因で体調を崩し合宿に参加できないのはもったいないし本末転倒であると思う。また、今回はちょうど台風から逃げるように日程を短縮して下山することができたが、これは運がよかっただけだ。台風が来るのが1日早かったら、山中での対応を迫られた。計画段階で、常に最悪の事態を想定してシミュレーションを繰り返すことが重要だと感じた。

 

 1年生のころから憧れていた雲ノ平へ行くことができ、僕個人としては大満足の合宿となった。12日の雲取山でバテていた2年前の夏と比べれば、それなりには歩けるようになってきたと思う。卒業まで時間は限られているが、登りたい山には目一杯登っておきたい。

 

 

 

2017年度2つの夏合宿の総括】

 

今年度より部員に参加義務を課す夏合宿を本格的に実施した。北岳合宿と雲ノ平合宿を終え、反省点や課題を以下に挙げておく。

 

 

 

・山行日数と実力は比例する。

 

2つの合宿に参加して多くの部員の様子を見ていると、当たり前のことだが、山によく入っている部員の方がバテることなくしっかり歩いているという印象を抱いた。登山は試合の勝ち負けのような指標がない(もちろん遭難したら明らかに負けだが)ため、日頃の成果がどのように合宿に結び付いているか自分では気付きにくいかもしれない。だが、リーダーの視点からはやはりメンバー間の実力の差を感じる場面もあるし、レベルの高い山行になればなるほど実力に余裕のあるメンバーで歩きたいと強く思う。僕個人の経験として、山での実力を伸ばすにはとにかく山を歩く回数を積むことしかないと思う。(今振り返ると、僕は1年生のときにほぼ毎回参加していたFN短大などで鍛えられたと感じる。)義務である月1回の訓練山行に限らず、部員にはもっとガンガン山に入ってほしい。また、2つの合宿のうちどちらの合宿に参加するかという判断基準は、学年や部への在籍日数のみならず山行日数も参考に設定すべきではないか。

 

 

 

・誰が連れていくのか?

 

今年は、主に新入生向けの合宿(北岳合宿)は僕が連れていくという形を取り、上級生の参加は比較的少なかった。しかし、来年度以降はより多くの上級生(特に運営会メンバーなどのリーダー層)が参加したほうが良いのではないかと感じた。まず、上級生の数が少ないとその人への負担が大きい。初心者が多いほどトラブルが起きやすいので、それに対応できるだけの人員を確保する必要がある。(その方が心理的負担も軽くなると思う。)また、リーダー層こそ下級生の現在の実力をしっかりと見るべきである。そうしないと、後述する「人を育てる」という意識が上級生から抜け落ちてしまうのではないか。

 

 

 

・どのように合宿のレベルを設定するか?

 

今後しばらくは、合宿をレベル別に複数設けるというスタイルが続くことが予想される。僕にとっては4年生の集大成が雲ノ平となったが、この合宿に1年生から参加している部員もいる。このことを考えると、難しい方の合宿のレベルは今後も必然的に上がっていくのであろう。これは部としても非常に望ましいことだ。難しいのは、初心者向けの合宿のレベルをどこに設定するかだ。一般的な大学山岳部として考えればもちろんよりレベルは引きあげていくべきだが、後輩を指導できるリーダー層がまだまだ育っていない現状を鑑みると、それも難しそうだ。部員として到達すべき最低ラインをどこに設けるか、難しい判断が迫られることが今後あるかもしれない。

 

 

 

・人を育てる必要性。

 

前述したこととも関連してくるが、合宿に向けて後輩を育てていくという感覚を部内で共有すべきである。合宿を行う意味は、合宿を目標として設定し、その成功のために日々の活動を行うということにある。これまでのように、行きたい人だけが行きたい山に行くというスタイルであれば、その山の実力に見合った人だけが参加者となるから、大きなトラブルなども生じない。だが、合宿という全員が越えるべきラインを設ける以上、そこまでレベルを引き上げるのが部としての(先輩としての)責任なのではないか。同時に、これが部活としてチームで登山をする醍醐味なのではないか。

 

 

 

雲ノ平、アラスカ庭園付近から薬師岳を望む(8月5日11時27分)

祖父岳方面分岐より、水晶岳・赤牛岳を望む(8月6日5時45分)

三俣蓮華岳山頂から槍ヶ岳方面を望む(8月7日5時5分)

双六岳山頂から、槍ヶ岳へ続く道(8月7日6時35分)