剱岳源次郎尾根(18/09/10-12)


 

☆天気

 

09/10:午前から大雨、夜からは小雨

 

09/11:くもり時々はれ

 

09/12:くもり

 

 

 

☆コースタイム

 

09/10(1日目):0955室堂バスターミナル(集合)1015---1045雷鳥沢キャンプ場1050---1205剣御前小舎1220---1245剱沢キャンプ場(幕営)

 

09/112日目):0330起床→剱沢キャンプ場0500---0555平蔵谷出合---1050Ⅰ峰1105---1150Ⅱ峰1245---1355剱岳山頂1420---1535前剱1545---1655一服剱1705---1800剱沢キャンプ場(泊)

 

09/123日目):0330起床→剱沢キャンプ場0535---0615剣御前小舎0625---0720雷鳥沢キャンプ場0730---0810室堂バスターミナル

 

 

 

☆行動と感想

 

(事前準備)

 

今回の源次郎尾根の山行は、昨年から発足した登攀チームの集大成ともいえるものとして位置づけられる。昨年の暮れに2年生(現3年生)2人と1年生(現2年生)2人の登攀に興味のある4人のメンバーで登攀チームを組み、トレーニングを積んでいた。最初期はボルダリングジムなどの室内の壁で登る感覚になれるような訓練を行っていった。その後、ロープワークやカラビナなどのギアの取り扱いを学び、日和田山などで外岩での訓練も行った。

 

学期中は2泊以上の山行を実施するのは難しく、登攀チームも日帰りの山行や1泊の山行などで訓練を積んでいた。6月中に妙義山、阿弥陀岳南稜などの山行で岩稜の歩き方・ツェルトによるビバークなどの練習を行った。今年の夏季長期休暇中の登攀の山行は岩に登るというよりは、岩稜帯を進んでいくものが中心だったので、これらの山行は有意義なものであったし、これからの登攀チームに必要な基礎的な技術を確認することができた。

 

登攀チームの夏合宿としては2つの山行が計画されていた。一つは槍ヶ岳北鎌尾根、二つ目が今回の剱岳源次郎尾根である。難易度としてはどちらもメジャーなバリエーションルートであり、一般向けの登山雑誌の岩稜特集などではよく登場するようなルートだ。登攀や岩稜歩きのスタンダードなルートではあるが、発足したばかりの登攀チームにとってはレベルとしてちょうどいいだろうということで、この二つが選ばれた。北鎌尾根は8月に実施されたが、あいにくの荒天でツェルトが浸水して、道具も濡れてしまい、あえなく撤退することになってしまった。その北鎌尾根撤退の反省を受けて、源次郎尾根ではできるだけ天候が安定する日程を狙い、当初の8月中の実施の予定からだいぶ引き延ばして、9月の初旬のこの日程に変更にした。また幕営の道具もツェルトではなく、テントに変更してできるだけ浸水を防ぎ、身体が冷やされないように対策を行った。

 

今回参加した部員は2名であったが、それぞれ集合場所の室堂までのアプローチは全く異なっていた。三宅は夜行バスで前日の深夜から富山にむけて出発し、明朝は富山方面から電車やバスを乗り継いで室堂へ向かった。自分は前日の午後に松本に入り、松本で一泊したのち信濃大町駅からトロリーバスなどを乗り継いでいわゆる立山黒部アルペンルートを通って室堂まで向かった。

 

 

 

1日目)

 

立山黒部アルペンルートで室堂まで向かうルートは小刻みにバスやケーブルカーがつながっているため、移動中に寝ることができなかった。前日の睡眠不足が解消できないまま、長いアプローチルートを移動していた。朝からあまりいい天気ではなかったが、8時過ぎに黒部ダムについたあたりから雨が降り始め、次第に強くなっていった。眠気・雨・黒部ダムまで来たのにバスの乗り継ぎ時間の関係で観光もできないというイライラの三重苦を抱えて、悶々とした気分で室堂へ向かっていた。

 

室堂に到着したころには雨がだいぶ強くなっており、1日目はキャンプ場までの予定だし、2日目は晴れるという予報であるとしても、やや不安な気分になっていた。室堂のバスターミナルで三宅と合流し、雨具を装着して、剱沢キャンプ場へ出発した。序盤のみくりが池周辺などは雨でも全く問題なく進むことができたが、気温がかなり低くなっているのが感じられた。この周辺は観光地にもなっており、山の装備を持っていない人間でも立ち入ることができるほど道が整備されている。我々も地獄谷の火山ガスや周りの風景などを楽しみながら進んでいた。

 

雷鳥沢キャンプ場からのルートはガレ場で、傾斜もきついルートであった。しかも折からの雨で山の上から小さい沢のように水が流れてきて慎重に登らざるを得なかった。岩と増水した水の流れで滑るのではないかと思っていたが、何とか滑ることなく登ることができ、時間も意外とかからなかった。天候のためにややきつい登りなってしまったが、単調な登りだったためか気づけば剣御前小舎についていた。雨と気温低下で身体が少し冷えていたため、剣御前小舎で避難もかねてやや長めの休憩をとった。晴天であればここから剱岳を拝むことができるのだがこのときは少し先も見えないほど雨と霧が出ていた。この雨の中でテント設営するのは嫌だな、などと思いつつキャンプ場へ向かった。剣御前小舎から剱沢キャンプ場は下りのルートになる。荒天ではあったが途中の道はしっかりしており、少し歩くとキャンプ場が見えるところまできていた。

 

キャンプ場につくと、周辺が少し平地になっているからか、風が吹き込んできた。それまでは雨が降っていても風は弱かったので何とか体温も維持できていたが、風が強くなると、途端にかなり冷え込んでくるのを感じるようになり、指先が軽くかじかんでしまっていた。早くテントを設営しなければ、という気になっていたが、風を避けられるような場所がなかなか見つからず、結局大きな岩の陰になるような場所に設営することにした。寒さが襲うなかで荷物を置き、テント設営を始めた。そして事件が起きた。序盤のテント本体にポールを入れる作業までは順調にすすんでいた。テントが動かないようにペグを打ち込むのも満足ではないが完了し、次はテントフライをかけようと準備をしてテントから一瞬目を離したすきに考えもしなかったことが起きてしまった。なんとテント本体が風に吹き飛ばされてしまったのである。木や大きな岩などの障害物が特にない場所だったので、風に乗ったテントは勢いよく飛ばされてしまった。自分は大急ぎでテントを救出するために走っていたが、テントがキャンプ場と剱沢小屋を結ぶ階段の下に飛んでいき、自分の視界から外れてしまったときにはほとんど諦めていた。それでも階段を少し下ると奇跡的にテントが止まっていた。階段を下っていた他の登山客がテントを受け止めてくれていたのだった。その方々に怪我はなく、テントの方も布は破れておらず、ポールも無事で何の損傷もなかった。「助かった」。この時ばかりはそう思うしかなかった。受け止めてくれた方に感謝をして、テントを回収した。もし彼らがいなければテントはさらに飛ばされ、どこまで行ってしまったのかわからない、そう考えるだけでも恐ろしいことだった。テントが飛ばされた原因は明らかだった、テント内に重りになるようなものを置かずにそのままで作業をしていたからだ、普段の天気であれば、それでも全く問題ないのだが、今回は風が強かったにもかかわらず、そのことを考慮に入れずに作業をしてしまっていたのだった。そんなこともあって普段よりもかなり時間をかけてテント設営を行っていた。予定ではテントをたてたら、小屋に宿泊しているOBと会い、明日の打ち合わせをするつもりだったが、テント内に入ってきた水を抜く作業や、震えるほど身体が冷え切っていたので暖房を兼ねた水の煮沸などを行っていると時間がかなりかかってしまった。

 

3時過ぎにはテント内も落ち着き、身体も温まってきたので、外にでてOBと打ち合わせを行った。OBの話によると、この日の雨の影響で尾根の取り付き部分はやや濡れているかもしれないが、総合的に判断すればルート全体は問題ないということだったので、当初の予定通り源次郎尾根を登ることにした。その夜、雨は少しずつ弱まってきていたが、やはり気温は低いままだったので、寝る少し前まで燃料を使用して暖をとっていた。

 

 

 

2日目)

 

2日目の記録の前に源次郎尾根の概略を説明する。剱岳の山頂から南東に延び、剱沢の雪渓につながっている岩尾根が源次郎尾根である。バリエーションルートであり、通常の地図などではルートは載っていない。近くには平蔵谷や長次郎谷もあり、ルート途中で拝むことのできる八つ峰とともに、剱岳の東面構成している主要な岩場である。主稜線の初登攀は1925年に第三高校(現在の京都大学)パーティ。「源次郎」という名前の由来は芦峅寺の源次郎(本名佐伯源之助。源次郎は屋号=通称)が1924年剱沢小屋建設にあたっていたときに、平蔵谷からこの尾根の上部に取り付き頂上にでたことからだといわれている。(出典:http://www.tatecal.or.jp/tatecal/proceedings/13-17-52_Ls.pdf

 

ルートとしては剱沢雪渓を下り、平蔵谷が左に見えるところから取り付きが始まる。序盤のやや急な登りをいくと、いくつかのコルと岩場を越えていき、ハイマツ帯に入る。その先はⅠ峰とⅡ峰の急峻な登りと下り(Ⅱ峰の下りは懸垂下降)があり、剱岳の山頂へ到達、というものである。岩稜歩きが主にはなるが、正確なルートファインディングと体力が必要とされるルートである。(概念図の出典:http://fuwaku-yamanokai.com/wp-content/uploads/2014/04/e4eec032105bc82f1b260dd4c1daa47b.pdf

 

2日目の朝は0510に剱沢小屋にOBと合流し、出発した。天候は昨日の大雨とは対照的に朝から霧も少なく気持ちのいい天気だった。小屋の脇から雪渓に向かって砂利の道を下っていくと雪渓の上部の溶けている部分から水の音が聞こえてきた。8月に研修でこの雪渓に来ていた三宅によると、その頃はまだこの溶けている部分も凍っていたということだった。雪渓の脇の氷ではない部分を歩いてだいぶ下っていくと、ちょうどいいスペースと雪渓に入りやすい箇所があったので、ここでアイゼンの装着を行い雪渓に入っていった。雪渓の氷は思っていたよりも固く少々面食らったが、雪上を歩くのには全く問題なかった。雪渓を下りながら取り付き部分を探していると、平蔵谷が見えてきた。この近くに取り付きがあるという情報だったので、探していると、OBが「ここだ」と教えてくださり、取り付きから登り始めた。取り付き部分はかなりのガレ場であった。かなり大きめの浮石などが無数にあり、落石の危険に慎重になりながら登って行った。その浮石群を越えた先も藪のなかで前方が確認しづらいなか進まざるを得なかった。この取り付き部分は意外に事故が多いらしく、我々が登っていた際も過去の登山者が苦労した跡が岩の崩れ具合からわかった。しかも朝露で藪はかなり濡れており、藪を抜けたころには少しウェアが濡れてしまった。

 

取り付き部分を越えると急登ではあるが、取り付き部分の危険度に比べると比較的楽な登りで、途中岩場もあったが何とか進めた。しかし、この先に少し厄介な岩場があった。ここで自分は自力で登れなかったために、先行していた三宅にザイルとスリングを出してもらった。この箇所は外見を見る分には何の変哲もない岩場なのだが、自分としてはスタンス(足場)を確保するのが難しく苦戦してしまった。結局、荷物を置いて先に空身で登り切り、その後荷物を引き上げるという手順でOBに助けてもらいつつ登ることができた。この箇所は最初の難関だった。

 

事前におこなったルート研究の情報によればⅠ峰までに2つほど核心部分があるということだったので、この前半が勝負だろうと考えて進んだ。道は相変わらず登りが中心で岩のホールドの他には木の枝や草などが支持の頼りにはなったが、昨日の雨でぬれているものも多く、あまり信頼はできなかった。ハイマツ帯に入り始めたころに、おそらく2つ目の核心部分ではないかと思われる数メートルほどの岩壁が見えてきた。ここでは最初からザイルを出し、途中にハーケンが打ち込まれた箇所で中間支点をつくるという方針で登ることにした。リードは三宅が行い、OBがビレーを行った。しかし、この岩場は想像以上に難しくまず一つ目の支点を作ることにすらだいぶ時間がかかってしまった。直登する箇所に良い足場がなく、どう登ればいいのか手間取ってしまったのである。最終的には何とか1つ目の支点を構築することができた三宅が腕力にまかせて一気に登って行った。自分もやはりかなりこの壁には苦戦し、上からザイルをのばしてもらったがなかなかスタンスを見つけることができないでいた。そうしているうちにガイドと2人組で登りに来ている後続の登山客がこの箇所にたどり着いてきた。ガイドは自分が苦戦している様子を見かねて、自身がフリーで登って上からビレーしてくれると申し出てくれた。そのガイドの協力とアドバイスもあり、自分は何とかこの壁を登ることができた。このガイドの方はヨーロッパで経験を積みガイドの資格を取ったらしく、とてもやさしくアドバイスや協力をしてもらえた。この岩壁を越えた先もまだハイマツ帯が続いており、ハイマツを頼りに岩稜を登ることになった。途中でなかなかホールドがつかみづらい岩場があり、ザイルを出してもらおうと一度は先行するメンバーに声をかけたが、OBのアドバイスに従いハイマツ帯によってハイマツをつかみながら登ると少し時間はかかったが、登ることができた。この時点ではⅠ峰は見えてはいるが少し遠く見えた。

 

ハイマツ帯の岩稜は歩きづらいことはあるが難易度としてはこの源次郎尾根のルートでは一番楽な道であったかもしれない。引き続き歩いているとだんだんとⅠ峰が近づいてきた。それと同時にⅠ峰の肩からのびるルンゼも見えてきた。このルンゼが今回のルートの最後の難関で、直登するしか他の道はないので、きつい登りだった。前半は落石にさえ注意できれば、スタンス・ホールドともにしっかりしているので登ることができた。後半に入るとやや岩が入り組んだようなルートがありチムニー(岩壁の縦の裂け目)を登るような要領で登る箇所もありやや難しかった。そんなルンゼを登りきるとⅠ峰のピークにたどり着いた。Ⅰ峰のピークは狭い台地になっており、ここで休憩を長めにとることができた。ここから剱岳の本峰はもちろん、八ツ峰も望むことができた。

 

Ⅰ峰からⅡ峰のピークまでは、急峻な下りと登りではあったが、ハイマツや岩の足場を頼りに進んでいくと約40分で踏破できた。このころから自分は蓄積した疲労と左足の膝あたりの痛みですこしペースを落としがちになってしまった。Ⅱ峰のピークまでくると本峰もくっきりと見えてくるので、だいぶ登ってきたという実感がわいてきた。このⅡ峰の下りは20メートル程度の岩壁でクライムダウンすることは不可能なので、ザイルを垂らして懸垂下降で下って行った。懸垂下降用の既存の支点があるため、これを利用して下降を実施した。先行する二人は順調に下ることができたが、最後の自分はビレーデバイスの準備まではあまり時間もかからずに行えたのだが、いざ下降という段になるとなかなかうまく動かないという事態になってしまった。2回ほど体重をかけて試してみたが動かなかったので、1度に下降の開始地点まで戻って考えてみると、安全用につけているプルージックコードの結び付けがきつすぎたのが多分原因だろうとわかり、プルージックコードなしで下降することにした。そうすると、体重をかけると下降を始めたので、制動がかけられるようにビレーデバイスの下部のザイルに手を放さないように下って行った。懸垂下降は下り始めの体重をかけるところまでは毎回すこし怖いが、それ以降下っているときはスイスイと下れるので楽しい部分もある。

 

懸垂下降が終わると山頂がすぐに見えるような場所になるので、ここからは淡々と最後の岩場を登って行った。特に自分はこの時疲労がピークに達しており、普段では何でもない登りでもかなりきつく感じた。しかし、さすがに山頂の近くまで来たということもあり、気力で頑張ることができた。この周辺はピークのようなきりったた場所が多く、どこがピークなのかややつかみづらかった。OBがかなり先に先行しており、自分たちが本峰のピークはどこかと探していると、声をかけてくれたので、安心した。最後の階段のような岩場をこえるとポッと祠が見え、剱岳の山頂に到達したのだとわかった。最後の山頂部分がこのようにあっさりしていたので、少し気が楽になったが、山頂からこれまで登ってきたルートを振り返るとなかなか厳しい道を進んできたのだな、と改めて実感するとともに、達成感もわいた。山頂には自分たち3人の他にも登山客が数人ほどいた。ほとんどが別山尾根からの一般ルートだったが、1人だけ早月尾根からのっぼって、さらに下る予定だという猛者もいた。好天が維持してくれていたこともあり、山頂からの眺望はよかった。白馬三山やその先には日本海なども望むことができた。ここでは記念写真や風景などをカメラに収め、長めの休憩をとった。かなり早くから到着して我々を待ってくれたOBとはここで別れた。

 

剱岳の下りは別山尾根ルートだが、ここは一般ルートの中では1番危険なルートといわれている。実際に下ってみると危険な岩場・鎖場の連続で気が滅入ってしまうほどだった。疲労と左膝の痛みもあって、源次郎尾根を登っているときよりもこの下りの方が体力的にも精神的にもつらかった。とくに「カニの横ばい」などの有名な危険箇所は足場がペンキで塗られていても、恐怖心からゆっくりとしか進めなかった。この周辺は一般ルートではあるが、一瞬の油断も許されないルートであり、今回の下りでそのことを実感させられた。そのような危険箇所と自分のペースダウンもあり、予定よりも下るのに時間がかかってしまった。前剱・一服剱を越えると、剣山荘が見えて少しホッとした。この時点で17時を過ぎており、少しずつ暗くなりかけていた。剣山荘が近づくと比較的楽な岩稜になり、気分的にも楽になった。剣山荘に着くと、もう剱沢キャンプ場は目と鼻の先にあるので、ここからは暗くなる前にテントに戻るという気合で、気力で歩いた。当然、これまでの岩場の登り下りに比べれば何でもないルートではあるが、疲れた自分の体にはそれがきつかった。それでも最後のキャンプ場までの道はテンポよく進むことができ、本格的に暗くなる時間よりも前にテントに入ることができた。テントに入ると少し寝転んでしまったが、水分補給や栄養補給をしていると疲労も和らいできた。その夜は夕食を済ませてから、時間をおかずにすぐに寝てしまった。

 

 

 

3日目)

 

当初、3日目は時間があるので、立山の縦走でも行おうかとはなしていたのだが、自分が想定以上につかれていたこともあり、室堂に戻るだけにした。自分の左膝はこの日も痛みがあり、ガレ場の下りや雷鳥沢周辺の階段などはかなりつらかった。自分も膝が痛くなければ、立山の縦走を行いたかったが、それはかなわなかった。体力が余っていた三宅には申し訳なかった。この日の天気は悪くはなかった、曇りがちだった。しかし、剣御前小舎からは北に剱岳の雄大な姿が、南をむけば室堂周辺などがまるでミニチュアのようにきれいに見えた。室堂バスターターミナルまで着くと、本当に今回の山行が終わったのだという実感がわいた。帰りの方向は行きと同じようにそれぞれ反対なので、バス乗り場でまた別れることになった。

 

 

 

(総括)

 

今回は本格的なバリエーションルートに挑戦ということで、ルート研究などは情報が少ないなか、よくできていたと思われる。事前にルート上に何があるか頭に入っているのはルートファインディングをするうえでも重要なので、今後も怠らないように心がけたい。一方で本番の荷物の準備などで少し不十分だった点もある。日程やメンバー数が直前まで何回も変更したというのもあるが、テント内に敷く銀マットを十分な数持ってこられなかったのは反省点である。今回は2人の日程が合わず各々で装備を分けてしまったのが原因だろう。やはり、装備分けは極力同時に行い、相互に確認しあった方が忘れ物も少なくなると思う。

 

行動中の反省点としては、基礎的な技術と岩登りむけの体力が課題になると思われる。ロープワークや登攀技術はまだまだ未熟な点や十分ではないことも多く、今後登攀チームを存続させるためにはより一層の学習とトレーニングが必要だと思われる。日和田山などの外岩にメンバーで行きつつ、身体に技術を覚えこませることが必要だと思われる。また岩稜帯になれるために、バリエーションルートの山行で訓練を積むのも必要になってくるだろう。一般ルートでは体力が持つようになってきた自分でも、今回は登りの中盤から終盤にかけて体力が切れてしまっているのが感じられた。これは岩稜を歩く体力がまだ身についていないということだろう。

 

今回登った剱岳源次郎尾根は登攀のルートでいえばスタートのようなコースだという。しかしこれまでほとんど一般道しか歩いたことのなかった自分にとっては、今回、源次郎尾根を踏破したことで、やっと本当の登山のスタート地点にたてたのではないかと感じた。

 

峰 時刻:09/11 09:42 撮影者:三宅

峰と本峰 時刻:09/11 10:50 撮影者:三宅

 

懸垂下降箇所 時刻:09/11 12:23 撮影者:三宅