尾瀬(燧ヶ岳・至仏山)(17/09/15-17)


 

☆天気

 

9/15 晴れ

 

9/16 晴れ時々曇り

 

9/17 曇りのち雨

 

 

 

☆コースタイム

 

9/151日目):0912沼田駅0920===1050大清水1110---1200一ノ瀬1210---1310三平峠1320---1410尾瀬沼ヒュッテ(泊)

 

9/162日目):起床0330→尾瀬沼ヒュッテ0510---0700四合目0710---0810燧ケ岳(俎グラ)0835---0850柴安グラ0900---1120見晴1200---1400至仏山荘(泊)

 

9/173日目):起床0330→至仏山荘0500---高天ヶ原(風雨のため記録取れず、到着時刻失念。)---0735至仏山0735---0950鳩待峠

 

 

 

☆行動と感想

 

 僕は山岳部に入るずっと前から、いつか尾瀬の湿原を歩いてみたいとぼんやりと思い続けていた。たしかきっかけは、10年以上前に流れていた東京電力の尾瀬保護を紹介するCMBilly JoelPiano Manのメロディーが印象的だった)を見たことだったと思う。なぜあのCMにそんなにも心惹かれたのか自分でもよくわからないが、見晴らしの良い湿原に続く木道を歩くのはとても気持ちよさそうだな、と思っていた。山岳部に入ってから尾瀬について調べてみると、湿原と百名山2つを全て歩き切るためには、少なくとも23日はかかることがわかった。となると、大学生の夏休みのうちに行かない手はないと考え、夏山シーズンが一段落した夏休み終わりに個人山行として企画した。

 

 今回の山行はあえて仕事を他のメンバーにあまり分担せず、僕自身でプランの設計や献立の考案をしてみた。今までの部の山行で培った自分のノウハウを活かすとどのような山行が出来上がるのか、試してみたいと思ったからだ。(結果としては微妙な部分もあったが…。)

 

 

 

915日 1日目】

 

 高崎線は中央線と異なり、都心を過ぎても車内は混雑しておりザックの置き場に困った。沼田駅からバスに揺られて1時間半、登山口の大清水に着いたときには家を出発してから6時間近く経っていた。やはり尾瀬は遠いと痛感させられた。

 

 身支度を終えると、一ノ瀬まで連れて行ってくれるシャトルバスに乗りたいという誘惑に負けそうになりながらも、林道を歩き始めた。8月までに比べればましだが、重い荷物を背負って歩くとまだ暑かった。緩やかに登る道幅の広い林道を歩き、一ノ瀬から先は登山道となった。しばらくは沢沿いを進む道で、透明度の高い水流が美しかった。小休憩を挟み樹林帯を登っていくと、思ったよりすぐに三平峠に着いた。夏合宿で北岳や雲ノ平の縦走を経験してしまうと、こんな登りは楽勝だった。ここから尾瀬沼ヒュッテまでアップダウンがないと考えると、天国のような山行だと思った。

 

 三平峠から少し下ると、いよいよ尾瀬沼が見えてきた。「沼」という文字からは想像がつかない、青く綺麗な湖だった。そして、尾瀬沼の向こうには燧ケ岳の全山容を見ることができた。思わず気分が高まり、木道沿いのデッキで何枚も写真を撮った。尾瀬沼沿いの道はほとんど木道が整備されており、この上なく歩きやすかった。平日のため人も少なく静かで、ここをずっと歩いていたいと思えるような場所だった。

 

 疲れる間もなく、尾瀬沼ヒュッテへと到着した。ここのテント場はウッドデッキの上にテントを張る造りになっており、凹凸ゼロの地面の上に寝ることができた。涸沢のゴツゴツした岩の上に張ったテントで寝ることと比べると雲泥の差があった。設営を済ませ、夕食の時間までは尾瀬沼のあたりを散策した。ヒュッテ近くには整備されたビジターセンターがあり、尾瀬の動植物について知ることができた。尾瀬沼のほとりまで出ると、尾瀬らしい穏やかな草原と湖、そして燧ケ岳が一望できた。冷たい風にあたっていると、季節がすっかり秋に変わったことを実感した。

 

 夕食はペミカンを使ったシチューとバケットだった。涼しくなってくると持ち運びできる食材が増えるので、メニューの幅が広がって嬉しい。実はペミカンを仕込むのは初めてだったのでうまくできているか若干不安だったが、きちんとした味のシチューが完成したのでホッとした。(ペミカンは万能なので、多くの部員が作れるようになっておくといいと思う。)夕食後はなんと、小屋の風呂に入ることができた。(尾瀬には入浴可の山小屋がたくさんあるのだ。)熱いお湯に浸かると体の芯から温まって幸せだった。一度テントに戻った後、完全に日が沈むのを待ってから星を見に再び尾瀬沼のほとりへ出た。ベンチに寝転んで空を見上げていると、流れ星を見ることができた。まだ初日だったが、ここまで振り返ると尾瀬は本当に最高な場所だなと思い、翌日の燧ケ岳への期待が一層高まった。

 

 

 

916日 2日目】

 

 朝食はいつもインスタントラーメンのことが多いので、新しいメニューを導入してみようと思い、にゅうめんを試してみた。しかしまさかの大失敗で、2年前の雲取山のパスタを彷彿させる代物だった。水の量が少なかったらしく汁がほぼなく、めんつゆを入れ過ぎたのか妙に味が濃かった。捨てるわけにもいかないので無理やりかき込み、浮かない気分で燧ケ岳に向けて出発した。

 

 しばらく尾瀬沼沿いを歩いた後、燧ケ岳山頂へ続く長英新道に入った。山と高原地図のコメント通り、最初はなだらかな登りが延々と続き退屈だった。現在何合目にいるかを示す看板が設置されているが、1~3合目はいくら歩いても進んでいないような感覚だった。ようやく地図上のコースタイムの区切りとなっている4合目に着き、このあたりから傾斜も急になってきて標高を稼いでいることを実感できた。途中のミノブチ岳から尾瀬沼方面を見たが、雲で真っ白だった。これだと山頂からの景色は期待できないかと思っていたが、ナデッ窪分岐あたりから山頂方面が晴れているのが見えた。俎グラに到着して辺りを見回すと、残念ながら尾瀬沼方面は雲海が広がっていたが、それ以外の方面は綺麗に景色が見えた。この夏の北アルプスの山々から見た景色と比べると、柔らかい印象の山々が多いと感じた。

 

 山頂で少し長めの休憩を取った後、見晴方面へ下るために見晴新道を目指して歩き始めた。(当初の計画では、見晴新道は復旧したばかりの道で上級者向けだという情報を得ていたため、ナデッ窪を沼尻まで下る計画だった。しかし、ビジターセンターの情報や他の登山者からの話から、ナデッ窪もあまり整備された道ではなく、下りにはあまり向かないということがわかり、コースタイムも短い見晴新道を使うことにした。)俎グラから一旦下って登り返すと、柴安グラには「燧ケ岳山頂」と書かれた石碑があった。俎グラは山頂ではなかったのかと拍子抜けしていると、他の登山者が俎グラも柴安グラもどちらも山頂だと教えてくれた。(柴安グラの方が標高は10m高いが、三角点があるのは俎グラである。)念のためこちらでも記念撮影をして、下り始めるといきなり急な斜面だった。旧温泉小屋分岐あたりまで岩っぽく疲れる下りが続き、それが終わるとついにぬかるみの道が始まった。この見晴新道は、ひたすら泥とぬかるみが続くことで悪名高いコースなのだ。泥とクマザサの根に何度も足を取られそうになり、周囲の木を掴みながら全身を使って下っていく感じだった。見晴新道が終わる頃には靴もゲーターも泥まみれになっていたが、アスレチックのような要素もあって少し楽しかったなと思った。

 

 見晴には良い雰囲気の山小屋が多くあり、その先には尾瀬ヶ原の湿原がどこまでも広がっていた。ウッドデッキにカラフルなリクライニングチェアが置いてある小屋があるなど、他の山域にはないお洒落な雰囲気があった。計画変更により見晴に午前中に着いてしまったので、翌日に天候が悪化する予報が出ていることも考慮して山ノ鼻まで歩いてしまうことにした。時間に余裕があったので、泥だらけのゲーターを取り、長めの休憩を取ってから尾瀬ヶ原に向かって歩き出した。

 

 山ノ鼻までの2時間は、まさに僕が思い描いていた湿原の中の木道歩きそのものだった。ずっと奥まで見渡せる広大な湿原に続く木道を歩いていくこの解放感は、他の場所ではなかなか味わえないものだと感じた。花の季節は終わりかけていて、所々草木が色づき始めており秋の気配が感じられた。途中、木道の脇に設置されているベンチで休憩した。360度どこを見渡しても湿原が広がっていて、来た方向を振り返ると燧ケ岳が見えた。なんとも贅沢で、ずっとここにいたいと思える場所だった。景色を楽しみながら会話も弾み、あっという間に山ノ鼻に到着してしまった。

 

 山ノ鼻のテント場も、地面が平らで岩などもなくとても快適だった。付近にはいくつかの山小屋とビジターセンターがあり、湿原を歩くだけと思われる軽装の人も多く見られた。テント場の隣には至仏山荘がやっているCafé Barまであり、ここが山の中であることを忘れてしまいそうだった。夕飯は北岳合宿で好評だったトマト缶のミネストローネ(元の考案者は僕ではないのだが)で、デザートにお汁粉を作った。お汁粉は、市販のあんこを軽く水で溶きながら温め、鍋用の薄切り餅を入れるだけなので、とても簡単に作れておススメだ。夕食後は至仏山荘で前日に引き続いて風呂に入った。ここはドライヤーまで用意されていて驚きだった。山で風呂に入れるという感覚が当たり前になってしまいそうで、他の山域に行けなくなってしまうのではないかと不安になった。

 

 

 

917日 3日目】

 

 天気予報によると、台風接近により今日の午前中から天気が崩れ始めるとのことだった。だが、テント場では雨は降っていなかった。宿泊地を見晴から山ノ鼻に変更した分、当初の計画より2時間巻いていたこともあり、天気が大崩れしないうちに至仏山に登ってしまうことにして出発した。

 

 至仏山の中腹あたりまでは、天気は安定していた。むしろ、雲の切れ間から少し晴れ間も覗き、振り返ると尾瀬ヶ原を一望することができた。しかし、山頂方面を見上げると雲に覆われて真っ白だった。景色を楽しむことができるのはここまでだろうと思い、記念撮影を一通り済ませた。

 

周囲の景色が見えなくなってからしばらく歩いていると、だんだんと風が強まり雨も降ってきた。この時期の風雨は体温を奪い、それがさらに不安感を増幅させる。山頂に辿り着くまでこれ以上の天候悪化は勘弁してほしいと思っていたが、風雨は強さを増すばかりだった。すると、登山道の脇にベンチが並んでいるのが見えた。地図には、ベンチとデッキがある場所が高天ヶ原と書いてあったので、山頂まではあと30分ほどだと思った。これならいけるぞと思い、歩き続けた。

 

そろそろ山頂に着くかと思い1つのピークを越えると、また先にピークが見えるということを何度も繰り返した。時間的にはもう山頂に着いてもいいのにと思っていると、開けた場所にたくさんベンチが並んでいるのが見えた。先ほどのベンチは何のポイントでもなく、高天ヶ原はここであると気付いた。まだ山頂まで時間がかかることがわかり小休憩を取ったが、立ち止まっていると体温が下がるばかりだった。高天ヶ原を過ぎるとさらに風が強まり、風をよけられる岩陰で一旦立ち止まった。僕の感覚としてはこのまま引き返してもいいかなと思ったが、他のメンバーからは今登ってきた道は傾斜が急で階段等が崩れている箇所もあり、下山するのは不安だという声があがった。今まで歩いたことのない道でも進んでしまうのか、ある程度状況がわかっている道へ引き返すか、難しい判断だった。結局、今まで来た道は安全面も考慮して登り専用として設定されていること、これから進む道の方が至仏山に登るメジャールートだと思われ、危険個所も少ないだろうと予想し、このまま進むことにした。ちょうど出発しようとしたとき、後ろから別の登山客も登ってきて、少しホッとした。

 

そこから山頂まではあまり記憶がないが、風の強い山頂に辿り着くと写真だけ撮って逃げるように退散した。山頂を過ぎると、ありがたいことに風雨が弱まってきた。稜線の方角が変わるだけでここまで風の強さが変わるとは驚きだった。小至仏山を越えて悪沢岳分岐を過ぎてからはだんだんと樹林帯へと戻っていき、ここまで来ればもう大丈夫と一安心した。このあたりから鳩待峠までの道はほとんど木道が整備され、傾斜も緩やかで、今まで歩いた登山道の中でも断トツで歩きやすかった。昨日の見晴新道とは比べものにならないなどと話していると、あっという間に鳩待峠に到着した。

 

鳩待峠からバスで戸倉まで出て、そこにある温泉に入った。登山に来ているのに、3日中3日とも風呂に入れるとは信じられなかった。最後にバス停の近くにある食事処で山菜天ぷらうどんを食べた。地元の山菜を使った天ぷらが絶品だった。どこを取っても尾瀬は最高だなと思いながら、駅へ向かうバスへと乗り込んだ。

 

 

 

【総括】

 

 思っていた以上に、総じて尾瀬は素晴らしい場所だった。穏やかな湿原歩きやちょっと洒落た雰囲気の山小屋など、他の山域にはない楽しみがある。軽装でのんびりと小屋泊の湿原歩きなどもしてみたいと思った。燧ケ岳と至仏山に登らなければ、初心者と来ることもできそうだ。

 

 山行の内容としては、にゅうめんの失敗が悔やまれる。これはもう登山技術云々の前に、ただ料理ができないことが露呈しただけのようで恥ずかしい。

 

 振り返るべき点としては、至仏山での天候悪化による進退判断が挙げられるだろうか。結果論に過ぎないが、CLの僕が最初に考えた撤退という判断より、他のメンバーの判断の方が正しかったと思う。天候の判断ばかりはマニュアル化できるようなものではないので、山で様々な経験を積んでいくしかないと思う。

 

 尾瀬沼、尾瀬ヶ原、2つの百名山と尾瀬を満喫でき、とても楽しい山行だった。参加してくれた後輩のみんな、ありがとうございました。

 

 

 

尾瀬沼より燧ヶ岳を望む(9/15 13:41)

尾瀬ヶ原より燧ケ岳を望む(9/16 12:40)

至仏山中腹より尾瀬ヶ原を望む(9/17 5:47)