硫黄岳(19/01/18-19)


☆天気

01/18 快晴

01/19 快晴

 

☆コースタイム

01/181日目)JR国立駅0437===0854JR松原湖駅===0941稲子湯---しらびそ小屋---1340本沢温泉(テント泊)

01/192日目)0400起床→本沢温泉0510---0720夏沢峠---0827硫黄岳---0937赤岳鉱泉---1115美濃戸口===JR茅野駅

 

☆行動と感想

1日目)

本来は17日に出発する予定だったが、事前の天気予報で八ヶ岳は大荒れの情報が出ていたので、全ての日程を1日ずらすことになった。結果としては大荒れの予報が出ていたもののそこまで強風や降雪があったわけではないようだった。

もはやおなじみとなった国立駅の始発に乗って、目的の松原湖駅に向かった。小淵沢まで沿線にほとんど雪は見えなかった。ところが小海線に乗るとうってかわって雪のある風景が窓一杯に広がるようになった。自分らが乗った小海線は1両編成でワンマン運行だった。雪といい、このこぢんまりとした電車といい東京から少しでると、見慣れない光景が広がっている。

駅からタクシーで稲子湯まで向かった。ここにはしっかりとした温泉宿がたっており、冬期も営業していた。今回と逆のルートで登山することになっていたら、帰りはこの温泉につかっていたかもしれない。このスタート地点からアイゼン等冬山の装備をつけて行動することになった。積雪は1020㎝といったところ。最初の道は木の根が張っており、やや歩きづらかった。天気が良く、日差しがあったため歩き始めると少し暑くなるほどだった。道はほとんどのぼりでたまに平坦な道があった。しらびそ小屋で少し休憩をした。小屋は池に隣接しているとのことだったが、雪でどこに池があるのか全く分からない状態だった。

本沢温泉までの道のりは樹林帯だが少しアップダウンがあり、少し時間がかかってしまった。今シーズン2回目の冬山であり、慣れていなかったという言い訳はできないので、時間がかかったのは反省するべき点だろう。途中で出会った登山客は片手で数えられるほど少なかった。本沢温泉に着くと小屋の管理人らしき人物が斜面でスキーを楽しんでいた。受付を済ませてからテントを設営した。毎度のことだが、雪山で一番つらいのはテントの設営と撤収だと思う。地味な作業なので体温は上がらないし、テント場は平坦な土地なので風が抜けて寒い。撤収作業はまだ朝が明けないうちにやることがほとんどなので、状況はさらに厳しい。といっても雪山登山に参加する以上は避けられないことではあるので、やるしかない。

本沢温泉には室内風呂と完全に外にさらされた野天風呂があり、先輩たち二人は野天風呂の方に行った。自分はタオルをそこまで多く持ってこなかったのと、翌朝髪が凍るのが怖かったので、野天風呂には入らず、テントで寝ていた。先輩たちがテンション高めで帰ってきたのを見て、風呂に入らなかったのを少し後悔した。テント泊をしている登山客は自分ら1組だけで、比較的いいスペースにテントを立てることができて、夜もぐっすり寝ることができた。

 

2日目)

4時におきたはずなのに準備に1時間以上かかってしまった。動き始めるのが遅かったこともあるが、全体的に動きが緩慢だったかもしれない。また反省点が増えてしまった。昨日までの道はほとんどつらいところもなく、実質的に2日目のための前泊のようなものだった。この2日目は今回の山行のメインであるので気を引き締めて登った。登り始めからやや傾斜のある道だった。夜も雪は降っていなかったのでラッセルこそなかったものの、平坦な場所がなく休む暇なく登ることになった。そんなみちだったのでほとんど休憩せずに、夏沢峠についた。ここで休憩しているうちに別のパーティにあったが、歩くのが遅そうに見えたので、先に行かせてもらった。

夏沢峠からは少し小高い丘のようなものが見えた。この丘に向かって歩いていくと、だんだんと木々がなくなっていき、風が強くなってきた。丘を越えると硫黄岳の岩肌が見えた。しかし、風が強すぎて休憩する余裕がなかったので、とりあえず山頂を目指して進んだ。どこを歩いても、全く風が弱まる気配はなかった。足場は岩だらけで、アイゼンでは歩きづらかったが、どうしようもできないので、進むしかなかった。常時強風が吹きすさぶ山頂付近であったが、時折突風が吹くこともあり、その時は身体が持ってかれるのではないかと思うほどであった。こんな強風のなかで行動するのは経験がなかったので、逆に楽しくなっていた。先輩たちも経験したことのない強風だったようで、辛そうだった。この日も空は雲が少なく、山頂からの景色は最高だった。強風に吹かれて登ってきたかいがあった。強風に襲われていたため、山頂では写真を撮ってから、足早に下ることにした。山頂直下の下りのルートはやはり岩場が多く、一歩踏み外せば滑落してしまうような危険箇所があった。それでも少しするとさっきの強風が嘘かと思うほど、風がなく穏やかな場所に下ることができた。小一時間ほどであったが、冬山の強風は強烈な経験となった。冬山の山行を夏山の山行の延長線上に考えてはいけないということを身をもって感じた。

 

下りは歩きやすい道でテンポよく赤岳鉱泉まで下ることができた。下山こそ慎重にいかなければいけないというのはわかっているが、冬山での下山は夏山よりも軽快に下れることが多いように感じる。しかし、この調子よく下山できたことが、この後の地獄につながった。というのも赤岳鉱泉で休憩していると、美濃戸口から予定よりも1本はやいバスに乗れるのではないか、ということになった。そのため赤岳鉱泉から急いで、美濃戸口に下ることになった。最初の方は雪があったのでアイゼンでも歩きやすかったが、次第に行くがなくなり、剥き出しの岩の上はさすがにアイゼンでは歩きにくかったうえに、沢沿いの道でそんなにスピードを出すことができなかった。途中美濃戸山荘付近でアイゼンを外したが、凍結していた道が続いていたため、ここでは急ぐことができず、あきらめかけていた。それでも早歩き程度に歩き続けていたが、上り坂が出てきたり、他の登山客に道を譲ったりなどで完全に諦める雰囲気になってしまった。しかし、急坂を越えると建物が見えてきて、そのうちにそこが美濃戸口であることに気づいた。再び気力が戻り、走るとバスはまだ発車していなかった。なんとかバスには間に合った。自分は9割がた諦めていたが、先輩たちにつられて走ったおかげで、早めのバスに乗ることができた。そこまでして急ぐ必要があるのかといわれれば疑問だったが、普段の山行ではできないいいトレーニングなったのかもしれない。

 

赤岩の頭を下ったところ(01/19 08:57、撮影者=吉田)

硫黄岳山頂(01/19 08:28、撮影者=松橋)