丹沢主脈縦走(18/4/7-8)


 

☆天気

 

4/71日目):曇りのち晴れ 4/82日目):晴れ

 

 

 

☆コースタイム

 

4/71日目):1040相模湖駅1055==(バス)==1112三ヶ木バス停1117---1303焼山登山口バス停1323---1333登山口---1508焼山山頂1523---1534鳥屋分岐---1549平丸分岐1552---1608黍殻山山頂1615--(水場)--1705?黍殻避難小屋

 

4/82日目):起床0310→黍殻避難小屋0405---0425八丁坂分岐---0450姫次---0514地蔵平---0619蛭ヶ岳0624---0750丹沢山0810---0900塔ノ岳0924---1025堀山の家---1221大倉バス停

 

 

 

☆行動と感想

 

雪山に行かない私にとっては、11月の金峯瑞牆以来、5ヶ月ぶりの宿泊登山だ。この山行は、冬山に登っていないメンバーが、新歓に向けて体力を取り戻すために立てられたものである。他のメンバーの様子を見ると、コース自体はそれほど辛いものではなかったようだが、私はなぜか1日目からバテてしまい、非常にきつい山行となった。酸素を取り込むことに必死で山行2日目の記憶がほとんどない私に代わって、心優しいみなさんが一言感想を送ってくれたので、山行記録はそちらをもとに書いた。

 

 

 

【アプローチ(焼山登山口まで)】

 

1日目の行動時間が3時間と短いため、10:40に相模湖駅に集合した。10時前に家を出ればいいなんて、山岳部としては異例のことである。心配していた雨は前の晩に降り終わり、山行中は晴れそうだった。

 

登山口にたどり着くまでが長かった。焼山登山口にもバス停があるのだが、本数が少ないため利用できず、相模湖駅から三ヶ木(みかげ)まではバスに乗り、三ヶ木の停留所から焼山登山口まで、畑や民家が点在する山裾の一般道を6㎞歩いた。三ヶ木から歩き始める頃には青空が広がり、半袖で心地よいくらいだった。山には遅めの桜が咲いていたり、青々とした若葉が芽生えていたりと、春らしく明るい雰囲気だった。以前この道を歩いた先輩から道中にコンビニがあると聞いていたが、車の中古車販売店以外、お店はほとんどなかった。

 

途中で一回休憩を挟んだこともあり、焼山登山口のバス停に到着した時点で予定より15分ほど遅れていた。停留所の手前の売店で昼食を買って食べたりしていたら、出発時間が30分以上遅れてしまった。

 

 

 

【焼山登山口~焼山】

 

バス停から10分ほど歩くと登山口である(コースタイムはバス停から計っている)。この辺りの木々(ブナ?)はまだ新緑の時期でなく、冬と変わらない風景だった。登り自体はそれほどきついものではないが、私は先頭の井山さん(途中から杉田さん)の速さについていけず、なんども立ち止まって待ってもらうことになった。後ろも詰まっていたので、情けなさと申し訳なさで、歩き始めて20分で早くも下山したくなった。ほかの人は全く疲れていない中、私だけは登りが少し続いただけで全力走並みに息が上がるので、この日の行程にも翌日の行程にも、不安を感じながら歩いていた。

 

 

 

登山口に入って40分ほどすると、登山道の左手が切り立った斜面になった。道が細く、落ち葉で登山道と斜面の境目が見えにくいうえ、木々が少ないので滑落してもストッパーになるものがなく、注意深く歩く必要があった。こういう道がしばらく続いた後、頭上に尾根らしきものが見え始めた。登りが続くが、なかなか稜線に出られない。焼山山頂そのものは頂上というよりは小ピークのようだったが、展望台の上に出ると、町が一望できた。

 

 

 

【水場】

 

今回の山行で最大の難所は、水場だった。水場は登山道沿いにあるものだと思っていたが、登山道で見つけたのは「水場」と書かれた看板だけだった。登山道から外れ、足元がぬかるんで不安定な斜面をおそるおそる谷側に降りていくと、ホースからちょろちょろと水が出ていた。夏には枯れてしまうのではないかと心配になるほど、頼りない水量である。水場は斜面の中腹にあり、先ほど歩いてきた道と同じように、足を踏み外したら下のほうまで滑り落ちてしまいそうでひやひやした。こんなにサバイバルな水汲みは初めてだった。翌朝にもう一度水汲みに来る予定だったが、夜明け前に行くのは危ないため、断念した。

 

 

 

【黍殻避難小屋】

 

水場からしばらく歩くと森林が開け、グラウンドほどの広さの草原に出た。その奥に、プレハブ住宅のような小屋があった。この日宿泊する、黍殻避難小屋である。誰もいないだろうと思っていたが、中にはすでに2パーティー計6名の先客がテーブルを囲み、お酒を飲んでワイワイと楽しんでいた。私たちが入ると陽気に迎え入れてくれ、寝るためのスペースも開けてくださった。ほかのパーティーがいると気まずいのかなと心配していたのだが、とてもフレンドリーに接してくださってうれしかった。

 

 

 

小屋の中には、8人くらいが座れそうなテーブルと、10人前後が眠れるくらいの板張りのスペースがあった。テーブルは他のパーティーが使っていたので、私たちは就寝スペースで夕食の支度をした。夕食はマーボー春雨とご飯とお茶漬けだった。ご飯の1杯目を麻婆春雨で、2杯目は杉田さん提案のお茶漬けでいただいた。2杯目をお茶漬けにすることで、ご飯が多くてもおいしく食べられる。今後も山でご飯を炊くときにはぜひとも持っていきたい。

 

 

 

2パーティーとも翌日の起床と出発の予定時間が同じだったので、あるおじさんが「一番遅く出ることになったパーティーが小屋の掃除をする」ということを提案してきた。翌日、そのパーティーのおじさんが3時くらいに起きてコーヒーを沸かし始めた。小屋の掃除をすべてやることになるのはちょっと困るので、私たちも3時過ぎに起床して食パンとスポーツようかんを食べ、自分たちが使った場所を掃除して、4時過ぎにいち早く出発した。

 

 

 

【避難小屋~塔ノ岳】

 

日の出までにはかなり時間があったが、月が明るく登山道の様子はよく見えた。下界ではTシャツ一枚で過ごせるような日も増えてきたが、山の朝はまだ寒く、手袋をしていないと手がかじかむくらいだった。霜柱も立っていて、歩くとザクザクという音がした。

 

 

 

稜線上に出ると階段の登りになる。蛭ヶ岳から丹沢山を経て塔ノ岳まで、左右に山の峰々が広がる、気持ちの良い稜線が続いた。天気も良く、右手には富士山がよく見えた。

 

 

 

しかし、前の日に私が感じた不安は見事に的中してしまった。登り階段が1分続くと足が上がらなくなり、息を吸っても酸素が入ってこないような息苦しさを感じた。さらに数分すると息を吸うときに喉から隙間風のような音が鳴り、恥ずかしいので息を吐くことばかり意識していたら、今度は軽い頭痛がした。これまでも体力的にきつい山行はあったが、今までと決定的に違ったのは、頭がぼんやりとして景色に無関心になっていたことだ。かといってすごく体調が悪いわけでもないので、周りに言うのもはばかられた。周りの足を引っ張っているように感じてとにかく申し訳なかったが、途中で三宅君が私のシュラフを持ってくれたことや、先頭を歩く杉田さんが、急ぐ必要もないから大丈夫だよと言ってくださったことには、とても救われた。

 

 

 

【塔の岳~大倉バス停】

 

塔ノ岳の山頂に来るのは3度目なので、到着した時にはほっとした。これまでの山行から「バカ尾根は登るもの」という認識があったので、最初はバカ尾根を下るということに背徳感を覚えたが、下るのもなかなかハードだった。アップダウンが無く、ひたすら同じ斜面が続くことを揶揄して「バカ尾根」というらしいが、もう登るエネルギーの残っていない私にとっては、ひたすら下り道が続くことはありがたかった。

 

 

 

【個人の反省】

 

帰宅後に調べてみて初めて分かったのだが、私は今回感じた不調を「バテる」というらしい。言葉は知っていたが、実際に自分がバテてみるとなかなかきつかった。いつもと段違いの息苦しさを感じたのは、持久トレーニング不足で酸素の供給が追い付かなかったからかもしれない。これからは後輩と一緒に山に行くようになるし、せっかくの景色に無関心になるほどバテてしまうのは悲しいので、これからはトレーニングをもう少し増やし、体調を整えて山行に臨みたい。

 

黍殻避難小屋(4/7 17:40  撮影:川原)

蛭ヶ岳~丹沢山(4/8 06:28  撮影:三宅)

蛭ヶ岳~丹沢山(4/8 06:51  撮影:田中)